- 2015.12.25
- 書評
被災地を生きる作家・熊谷達也の内なるドキュメントともいえる小説
文:土方 正志 (編集者)
『調律師』 (熊谷達也 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
熊谷達也は宮城県に生まれ育ち、東日本大震災を経たいまも仙台市に暮らし続ける作家である。以前、私が書いた原稿を引かせていただく。
熊谷さんと初めて沿岸被災地に入ったのは、四月一日だった。あの日からまだ一か月も経っていなかった。向かったのは甚大な被害に見舞われた宮城県気仙沼市。熊谷さんはかつてこの港町に中学校教諭として暮らした。私たち〈荒蝦夷(あらえみし)〉が発行する雑誌『仙台学』に東日本大震災に関する原稿をお願いしていた。熊谷さんに、気仙沼を書いて欲しかった。まずは、現地へ。それがこの日だった。
クルマに積み込んだ支援物資を熊谷さんのかつての同僚が勤務する気仙沼市郊外の中学校に届けた。もちろん学校も平時の状態ではない。避難所である。熊谷さんの昔の仲間のひとりは、あの夜、津波に呑み込まれながら助けられて学校に運び込まれた人たちが次の朝には冷たくなっていた、その衝撃を語ってくれた。高台の学校から海を見やりながら、遥か遠くの海面がどれだけ高く盛り上がり、どれだけの速さで押し寄せてきたかを語ってくれたのは校長先生である。家族を仙台に退避させながら避難所と化した学校を運営していた彼の家は津波に押し流されていた。
気仙沼市内に入る。腐敗臭がまるで見えないドームのように空を覆って、息が詰まりそうだった。水産加工場や魚市場など、津波に破壊された施設に保管されていた魚介類がいたるところに散乱して、腐り始めていた。鼻腔の奥に腐った魚のにおいがこびりつく。ニュースは、腐敗した魚介類を船積みして沖合に投棄する作業が始まったと報じていた。海を間近に見下ろす中学校。熊谷さんがかつて勤務したこの学校も避難所である。校庭にはぎっしりと自衛隊の車両に被災者が暮らすテント。校庭の木々に渡されたロープには、被災者の洗濯物がはためいていた。
高台から徒歩で市内へと下りた。津波に舐め尽くされた町は、まるで空爆でも受けたかのようだった。被害のひどかった地域は自衛隊に封鎖されていて立ち入り禁止。遺体捜索も続いていた。熊谷さんとふたり、そんな気仙沼を黙々と歩いた。話すことなどなにもなかった。熊谷さんは口元をきつく引き結んだままだった。ふと人気のない水産加工会社の前に立ち止まると「ここ、教え子の会社だ。家業を継いだんだけど、無事だったかな」と呟く。家族や友人知人との連絡も覚束ない日々。確かめる術もない。熊谷さんと私の共通の知人である若い女性を内陸の家にたずねた。津波から二週間後に発見された彼女のお父さんの遺影に手を合わせて、仙台への帰途に着いた。沿岸から内陸に入った山道で、熊谷さんの運転は荒れた。怒りと悲しみがアクセルを踏ませ、ハンドルを切らせていたに違いない。――新潮社『波』二〇一三年三月号
二〇一一年三月一一日の本震に続き、仙台がマグニチュード七・四、震度六強の最大余震に見舞われたのは四月七日である。いまから思えば、四月一日といえば「震災直後」といっていい。そんな日々に書き継がれていたのが本書『調律師』だった。かつてピアニストとして活躍しながら、事故により妻を亡くして、いまはピアノの調律師を生業に生きる主人公・鳴瀬玲司は、音に香りを感じる共感覚「嗅聴」の持ち主である。この鳴瀬をめぐる人々のドラマが本書と、まずはご紹介できよう。