ひとは名家や名門に憧れる一方で、二世や世襲を批判するという矛盾した心情を抱くものらしい。
昨年末の市川海老蔵をめぐるマスコミの対応は、見事にそれを象徴していた。
海老蔵は、夏まではフリーアナウンサー小林麻央との結婚を祝福ムードのもとで報じられ、殴打事件以後は徹底的にその性格や人格を糾弾された。まさに、天国と地獄の一年だった。
実は、昨年は初代團十郎生誕三百五十年という記念の年だった。「この記念の年にあんな事件を起こし、御先祖様に申し訳ない」と海老蔵が思ったかどうかは知らないが、先祖たちは案外と、この将来の十三代目のトラブルに、あの世で微笑んでいるのではないかと思う。「お前も、ようやく一人前になったな」と。
たとえば、五代目が書き遺した家訓には、「おれさえ出れば見物嬉しがるという心がよし」「皆々目の下に見くだし、蟲のように思うがよし」とある。
團十郎家とは傲慢であることが家訓なのだ。それくらいの気構えがなければ、トップスターは務まらないということなのだろう。だが、威張っているだけではない。歴代の團十郎は劇界全体をまとめ、改革していくリーダーでもあった。そして何よりも、「客が呼べるスター」だった。
その市川團十郎家の歴史を描いたのが、『悲劇の名門 團十郎十二代』である。
十二人の團十郎の物語を書いたが、ひとりずつ描くのではなく、時間の流れに沿って書いたので、常に二代か三代の團十郎が同時に活躍する。歴代團十郎についての本はこれまでにも何冊もあるが、ひとりずつ別々に記述する紀伝体が多く、編年体で描いたものは、珍しいと思う。
その結果、ひとつの家の長い物語であると同時に、近世から近代を経て現代にいたる、歴史の本にもなった。