- 2016.11.18
- 書評
音楽好きのための“人間嘘発見器”考察
文:佐竹 裕 (コラムニスト)
『シャドウ・ストーカー』 (ジェフリー・ディーヴァー 著/池田真紀子 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
手に汗握る“ジェットコースター・ミステリー”でおなじみのジェフリー・ディーヴァー。彼の描く魅力的な主役陣のなかでも、たいへん恐縮ながら、リンカーン・ライムよりキャサリン・ダンスのほうが圧倒的に好きだってことを、まず白状しておこう。
ディーヴァー作品と言えば、何はともあれライム・シリーズというのが、ミステリー・ファンの共通見解だろう。『ボーン・コレクター(The Bone Collector)』(一九九七年)で登場するや海外ミステリー・ファンの心を鷲掴(わしづか)みにしてしまった、四肢麻痺のニューヨーク市警科学捜査顧問リンカーン・ライム。いまや押しも押されもせぬ大ベストセラー作家となったディーヴァーが生んだ現代版安楽椅子探偵の活躍譚は、日本でも人気のシリーズとなって、年末のベストテン・アンケートでつねに上位に選ばれるほどの確固たる地位を手にしている。
そんなシリーズの第七作『ウォッチメイカー(The Cold Moon)』(二〇〇六年)に初登場して読者に鮮烈な印象を残したのが、カリフォルニア州捜査局捜査官で通称“人間嘘発見器”のキャサリン・ダンスだ。事情聴取においてキネシクス(容疑者や証人のボディランゲージや言葉遣いを観察し分析する科学)を駆使することで捜査戦略に役立つ情報を手に入れる、いわば尋問の専門家である。
二〇〇七年には、彼女をヒロインに据えた長篇『スリーピング・ドール(The SleepingDoll)』が発表され、ライム・シリーズからスピンオフした新たなシリーズが誕生した。続く第二作『ロードサイド・クロス(Roadside Crosses)』(二〇〇九年)も好評。そして本書『シャドウ・ストーカー(XO)』(二〇一二年)が、キャサリンのシリーズ第三作にあたる。
『ウォッチメイカー』事件での初登場時、証拠至上主義のライムは、キャサリンにたいして最初は懐疑的だけれど、キネシクスが立派な科学であることを目(ま)の当たりにしてその稀有なスキルを認めざるをえなくなる。彼女の初陣(ういじん)はそれほどに鮮烈だった。ディーヴァーはこの時点でキャサリンを主人公にしたスピンオフ・シリーズを念頭に置いていたのではないか。そう思えるほど、その人物造形は完成されたものだった。
キャサリン・ダンスは、文豪ジョン・スタインベックが小説『キャナリー・ロウ〈缶詰横町〉(Cannery Row)』(一九四五年)で人情味あふれる町として描いたモンテレーの隣町、パシフィックグローヴに、ウェスという息子とマギーという娘、二人の子供と一緒に住んでいる。身長百六十五センチで暗めの金髪。FBI捜査官だった夫を交通事故で亡くした未亡人だ。新しいデザインの靴に目がなく、大好きすぎるくせにスイーツをダイエットの大敵とみなす。徹底して科学的な分析を行うかと思うと、「AからBへ、跳んでXへ……」という突然のひらめきによって、謎の真相へと導いてもらうこともままある。尋問で戦闘態勢に入るときは、黒い金属フレームの眼鏡にかけ替える。人間嘘発見器と呼ばれながらもそんな人間臭さを無防備にさらけ出しているところが、小生にとってはとにかく魅力的なのである。
そんなだから、プライベートもまたお騒がせと言っていい。亡くなった夫を愛していたわりには意外と惚れっぽいのだ。『スリーピング・ドール』では、初対面のカルト犯罪の専門であるFBI捜査官ケロッグになびきそうになるし、その後も、前作『ロードサイド・クロス』で初登場し捜査協力をしたカリフォルニア大学教授のコンピューター専門家、ジョン・ボーリングと急接近していくキャサリン。本作ではボーリングとのちょっとしたすれ違いから、かねてよりコンビを組んで捜査にあたっていたモンテレー郡保安官事務所の刑事マイケル・オニールとの親密な関係が復活する。息子のウェスがめずらしく拒絶反応を示さない(自分から母親を奪おうとしていると思わない)この二人のどちらが、最後にキャサリンのハートを掴むことになるのか、そのあたりも目が離せないところだ。
本書『シャドウ・ストーカー』は、じつはディーヴァーにとって特別な作品である。
ディーヴァーには、昔から情熱を傾けるものが二つあった。言葉と音楽だ。ありとあらゆる本を読んで小説や詩を書きまくってきたのと同時に、ボブ・ディランやジョニ・ミッチェル、レナード・コーエン、ポール・サイモンのようなシンガー&ソングライターになることを夢見てもいた。とはいえ、書くことには自信があっても曲作りにはそれほどの才能がないと自覚してはいて、プロの作家となったこともあり、せめて自分の小説に自作の歌詞を登場させられる機会が訪れないかと考えていたという。
そのあたりの事情は、自身のホームページ(http://www.jefferydeaver.com/)にも詳しいのでご参照いただくとして、アンソロジー『A Merry Band of Murderers』(二〇〇六年)のために書き下ろした「The Fan」という短篇小説で、初めてそんな試みを実践する機会が訪れた。そしてその数年後には、本書『シャドウ・ストーカー』で本格的に自作の歌詞をいくつも披露することになった。そこでディーヴァーは、一部の歌詞に事件の手がかりが隠されているという、凝った趣向に挑んだのだ。
物語は、キャサリンが休暇で訪れたフレズノが舞台。友人であるカントリー&ウェスタンの人気歌手ケイリー・タウンに会いに行ったところ、彼女がストーカーの深刻な被害に遭っていると知らされる。ファンの一人であるエドウィンという青年が、ファンに送られる定型の返信メールを曲解し、自分がケイリーに愛されていると思い込んでしまったのだ。メールアドレスを変えても新規のアドレスをどこからか手に入れて、執拗にメールを送りつけるエドウィン。やがてケイリーのライブイベントの責任者であるボビーが惨殺され、その後もケイリーの書いた歌詞になぞらえた事件が次々と発生していく。はたして神出鬼没のストーカー、エドウィンがほんとうに殺人者なのか……?
事件の鍵にもなるバラード「ユア・シャドウ(Your Shadow)」をはじめ、ケイリー作(もちろんディーヴァー作)のカントリー・ソングの歌詞は、巻末にすべて掲載されている。アルバム一枚分まるごとだ。これらの歌は、作中への歌詞掲載だけに終わらず、実際にプロのカントリー・ミュージシャンによる演奏でレコーディングされ、一枚のアルバムとして発表されることになった。仕掛け人となったのは、クレイ・スタッフォード。ナッシュヴィルで映画/舞台/音楽などを扱うインディペンデント系レーベルを経営していて、今回のサウンドトラックを具体化する企画をディーヴァーに持ちかけた。
こうして完成したアルバム『Jeffery Deaver's XO (The Album)』(二〇一二年)はヴォーカルを担当したトレヴァ・ブロンクィストの名義で、全曲ジェフリー・ディーヴァー作詞、クレイ・スタッフォード&ケン・ランダーズ作曲による全十一曲を収録。インターネット上で試聴もできるし、アマゾン等からダウンロード購入も可能だ。
このトレヴァ・ブロンクィストなる女性アーティストはカントリー/フォーク系のシンガー&ソングライターで、ディーヴァーの愛するジョニ・ミッチェルあたりの雰囲気を漂わせる世界観が特長。二〇〇六年にデビュー・アルバム『Plain Vanilla Me』を自主製作で発表後、『As It Should Be』(二〇〇八年)、『These Fading Things』(二〇一一年)、『So We Would Know』(二〇一三年)、『The Risk & The Gift』(二〇一六年)と、ミニ・アルバムも含めて計五枚のアルバムをリリースしている。作曲のみならず編曲とキーボード演奏、音楽監督も手がけているケン・ランダーズは、「モダン・デイ・ジライラ」のスマッシュヒットを持つシンガー&ソングライター、ヴァン・スティーヴンソンが所属していたカントリー・ロック・バンド、ブラックホークのアルバムでエンジニアを務めたりもした。
本作でストーカーに狙われることになるケイリー・タウン。はて、彼女のモデルとなったのはいったい誰なのかと思ったのだけれど、特定は難しそうだ。伝説のカントリー歌手である父親を持ち、幼い頃からオリジナル曲を披露していた美人シンガー。コンテンポラリー・カントリーのアーティストだとしたら、父親が高名なアーティストで一九七〇年代に「ローズ・ガーデン」等のヒットによってスターとなったリン・アンダーソンあたりが思い浮かぶ。とは言っても、リンはソングライターではないので、幼い頃から曲を書いていて、ホイットニー・ヒューストンによるカヴァーが大ヒットした「オールウェイズ・ラヴ・ユー」やオリビア・ニュートン=ジョンの「ジョリーン」など、数々のヒット曲を世に送り出したドリー・パートンなどのほうがイメージに合う気もする。カリスマ的な作詞作曲の才能にアイドル顔負けの美貌がプラスされているということでは、今をときめくテイラー・スウィフトを想起する読者も多いのではないだろうか。小生としては、ティム・マッグロウ夫人のフェイス・ヒルやシャナイア・トゥエインあたりの美女シンガーを頭に置きながら、本作を読ませてもらったのだけれど。
ディーヴァーの作品には音楽が登場することが多い。具体的な楽曲名も頻出するのだけれど、キャサリン・ダンスのシリーズはとりわけそれが顕著だ。なにしろ、つねにiPodのイヤフォンをぶら下げて外界をシャットアウトしているキャサリンは、かつてはフォークシンガーとして活動したが、これといった成功を収められずにその道を断念したという設定である。
二十世紀の半ばに、山岳地帯の民謡やブルース、ブルーグラスなど、さまざまな音楽を収集して米国議会図書館におさめた“ソング・キャッチャー(民謡研究者)”、アラン・ローマックスを引き合いに出して、キャサリンも同様に、現代の“米国産”音楽――アフリカ、ケイジャン、ラテン、カリビアン、アジアン――を自分の足で集めて回っている。そうして、親友のマーティーン・クリステンセンと一緒に立ち上げた〈アメリカン・チューンズ〉というウェブサイトを通じて、市井のミュージシャンが自作曲の著作権を取得する手伝いをするほか、レコーディングしたその楽曲の音源をサイトにアップして配信してその代金をミュージシャンに分配している。本業同様の熱意で運営にあたっているのだ。
そうそう、ダンスの二匹の飼い犬の名も、それぞれディランとパッツィ(かたや苗字、かたや名前で統一性はないけれど)。もちろん、かのボブ・ディランと、「クレイジー」でお馴染みの人気カントリー歌手パッツィ・クラインからとられたものだ。音楽ファンならば思わずにやりとさせられる、こうしたちょっとした遊び心が嬉しい。
さてさて、そんなディーヴァーの創作意欲はいささかも衰えず、ますます精力的だ。このキャサリン・ダンスのシリーズは本書に続く第四作『煽動者(Solitude Creek)』(二〇一五年)がすでに日本でも刊行されている。群集心理を操りパニックに陥らせる犯罪者とキャサリンとの対決が描かれ、本書に登場した人気歌手ケイリーも顔を見せる。リンカーン・ライムのほうも、シリーズ第十二作『The Steel Kiss』(二〇一六年)がすでに刊行されていて、二〇一七年には第十三作『The Burial Hour』が刊行予定。また、ライム物二篇とキャサリン・ダンス物一篇に加えて、『シャロウ・グレイブズ(Shallow Graves)』(一九九二年/『死を誘うロケ地』改題)から始まる別シリーズの主人公のジョン・ペラム物も一篇収められた短篇集、『Trouble in Mind』(二〇一四年)も邦訳が予定されている。
はじめて自分がディーヴァー作品のおもしろさを知ったのは、“とある友人”がたまたま邦訳書の編集を担当した『静寂の叫び』(一九九五年)を読んだのがきっかけだった(“とある友人”が、なんて証言をするとストレス反応が見られるとキャサリンに即糾弾されるかもしれないけれど)。ディーヴァーが作家として化けたと言われる単発のサスペンス作品だ。以来、少しもクオリティを下げることなく、ディーヴァーは旺盛な創作意欲で傑作を書き続けている。
その魅力は、ジェットコースター・ミステリーたる所以(ゆえん)の、目まぐるしいまでの意外な場面展開、魅力あふれる登場人物たち、そして一作一作に込められた情報量の多さによるものだろう。そして、故・児玉清氏をはじめ多くのディーヴァー・ファンの読み巧者たちが指摘するように、読後感の爽快さ。キャサリン・ダンスのシリーズには、群を抜いてその魅力が活かされているように思えるのは、音楽好きの身びいきだろうか。
■キャサリン・ダンス・シリーズ
The Cold Moon(2006)『ウォッチメイカー』*
The Sleeping Doll(2007)『スリーピング・ドール』
Roadside Crosses(2009)『ロードサイド・クロス』
The Burning Wire(2010)『バーニング・ワイヤー』*
XO(2012)『シャドウ・ストーカー』本書
Solitude Creek(2015)『煽動者』
(*印はダンスが登場するリンカーン・ライム・シリーズ)
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