- 2023.04.20
- 書評
ドイツのベストセラー作家が放つ「多重どんでん返し」に巻き込まれろ!
文:千街 晶之 (ミステリ評論家)
『座席ナンバー7Aの恐怖』(セバスチャン・フィツェック)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
ミステリ作家とは読者を騙すことを生き甲斐としている人々だが、中でも、一作の中で一度騙すだけでは満足できず、これでもかとばかりに多重どんでん返しを仕掛けてくるタイプの作家がいる。文春文庫から邦訳が出ている海外作家なら、アメリカのジェフリー・ディーヴァーがその代表だ。
ならば、ドイツから一人選ぶなら誰になるか――というと、やはりセバスチャン・フィツェックしかいないだろう。本書『座席ナンバー7Aの恐怖』(原題Flugangst 7A、二○一七年。文藝春秋から二○一九年三月に単行本として邦訳)は、そんな彼の作風を存分に味わえる小説だ。
主人公である精神科医マッツ・クリューガーは、極端な飛行機恐怖症だ。そんな彼がベルリン行きの旅客機に乗り込んだのは、出産を控えた娘のネレに会うためだった。ところが、機が上空に達した時、マッツの携帯電話に何者かからネレを誘拐したというメッセージが……。その人物は、娘を助けたければ飛行機を落とせと脅迫する。墜落の手段は、精神科医であるマッツでなければ不可能なものだった。一方、ベルリンではネレが暴力を振るう元彼から逃れて出産のためタクシーに乗り込んだのも束の間、運転手に監禁されてしまう。その男の目的は何なのか?
このように導入部を紹介するだけでも、読者の興味を惹きつけるには充分だろう。しかも機内には、四年前に死んだ筈のマッツの妻そっくりの出で立ちの女が出没するのだ。果たして何が起きているのか、気にならない読者はいない筈だ。そこに、読者の胸倉を掴んで引きずり回すような多重どんでん返しが襲いかかる。章の終わりには必ずと言っていいほど、不穏な記述が待ち受けている。ようやく結末まで到達した時、読者は自分がヘトヘトになっていることに気づくに違いない。
主人公も読者もここまで翻弄しなければ気が済まないセバスチャン・フィツェックとは、どんな作家なのだろうか。著者は一九七一年にベルリンで生まれ、テレビ・ラジオ局でディレクターや放送作家として早くから活躍していた。二○○六年、『治療島』で小説家としてデビューする。この作品の主人公は、愛娘の失踪以降、小さな島の別荘に引きこもっている精神科医のヴィクトル・ラーレンツだ。そんな彼のもとに、アンナ・シュピーゲルと名乗る女がやってくる。彼女は、自分が書いた小説の登場人物につきまとわれているという妄想を語り、治療を求めるのだが……。異常心理や我が子をめぐるトラウマ等々、著者の作品を特徴づける要素が、既にこのデビュー作から見受けられる。
サイコ・サスペンスの書き手としてやってゆくのかという当初の予想に反し、第二作『ラジオ・キラー』(二○○七年)は打って変わって立てこもりサスペンス小説だった。ラジオ局に、ある男が人質を取って籠城する。この犯人と対峙するのは、ベルリン警察の交渉人で犯罪心理学者のイーラ・ザミーン。だが、彼女は長女が自殺したことで心に傷を負い、その日まさに自分の命を絶とうとしているところだった……。ラジオ局の内と外で進行する事態をパラレルに描く構成は緊迫感満点であり、結末の逆転も鮮やかだ。
第三作『前世療法』(二○○八年)では、弁護士のロベルト・シュテルンが、前世の自分が十五年前に人を殺したと十歳の少年から告白され、その言葉通りに廃工場の地下で白骨死体を発見することになる。その後、シュテルンは謎の人物から、白骨となっていた男を誰が殺したかを突き止めろと脅迫される。正体不明の犯人に主人公が引っぱり回されるフィツェック作品の典型的展開だが、冒頭で提示される謎の奇怪さは本書が随一だろう。
第四作『サイコブレイカー』(二○○八年)では、若い女性の精神ばかりを破壊する凶悪犯が、吹雪で孤立した精神科病院に侵入する。記憶喪失の患者カスパルら、患者や職員たちは身を守ろうとするが、彼らは次々と姿を消し、あるいは殺害されてゆく。この小説は、外界から隔絶された舞台や精神医学への関心といったそれまでの作品に見られた要素の集大成であると同時に、フィツェックの新境地とも言える。というのも、右に紹介したあらすじは実はある心理学実験のためのカルテに書かれた物語であり、枠の部分では実験の参加者がそれを読み進めてゆくさまが描かれるのだが、『サイコブレイカー』という小説を読むことで読者もまたその実験に参加させられる仕掛けとなっているのだ。のみならず、原書でも邦訳でもあるページに付箋が貼られており、作中の謎々の答えがわからない場合は、その付箋に書き込まれたメールアドレスにメッセージを送れば答えが返ってくるという凝った趣向もある(もっとも返答はドイツ語なので、日本語で知りたい場合は邦訳の版元である柏書房の特設ページを見れば答えがわかるようになっていたが、現在は閉鎖されている)。
テキストとしての本自体に仕掛けがあるという点は、第六作『アイ・コレクター』(二○一○年)も同様である(第五作は未訳)。子供を誘拐して母親を殺し、父親が制限時間内に探し出せなければ子供を殺すという連続誘拐殺人事件がベルリンで起こっていた。元ベルリン警察の交渉人で今は新聞記者のアレクサンダー・ツォルバッハは、犯人の罠にはまって容疑者にされてしまう。この作品で目を引くのは、巻頭にプロローグではなくエピローグがあり、それに第一章ではなく最終章が続く(ページ数も逆行している)という奇抜な構成だ。といっても、ジェフリー・ディーヴァーの『オクトーバー・リスト』とは異なって時系列が逆行するわけではないけれども、どうしてそうなっているかは最後まで読めばわかるようになっている。
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