子供の頃から絵を描くことが楽しい遊びだった。中学生の時、先生が、あなたは絵が好きだから美術大学に進んでみたらどうかと、それとなく言った。この言葉には正直驚いた。ぼくは大学は勉強するところだとおもっていたのだ。大学で絵が描けるなどと、これは衝撃的なできごとだった。
絵を描くことがたまらなく好きなのに、どういうわけか画家になろうなどとはおもったことがなかった。画家の伝記を読んだ時の薄気味悪さは今でもぼくのなかにある。
高校生になって、美術大学のグラフィックデザイン科を目ざしてデッサン教室に通いはじめた。絵を描くことは好きだが、石膏(せっこう)デッサンほどつまらないものはなかった。
石膏デッサンをやっていると先生が廻って来て言った。
「うん、正面はよく描けている。うん、しかし裏が描けていないな」
裏をどうやって描くのかとおもった。
ある日デッサン教室の売店で『グラフィックエレメント』という本を買った。その本はイラストレーションを特集していた。
家に帰ってむさぼるようにしてページをめくったのだが、あるページにジャズクワルテットの「MJQ」を描いたイラストレーションがあった。実に恰好いいテクニックで描かれたその作者の名前は和田誠とあった。ぼくは一瞬にして魅了された。
因みにぼくがはじめて「イラストレーション」なる文字を見たのは、詩人萩原朔太郎の『青猫』だった。朔太郎は、挿絵という漢字の横に小さく「イラストレイション」とルビを振っていたのだ。
和田誠さんはぼくの憧れの人になった。これはぼくばかりでなく、当時デザインやイラストレーターを目ざしていた高校生はみんな和田病にかかっていたらしい。ぼくらの世代の多くがグラフィックデザインに進まずイラストレーターになったのも、当時の人気イラストレーター、和田誠さんや横尾忠則さん、宇野亜喜良さんの影響といっていいだろう。
書くまでもなく、和田誠さんは大学三年生で第七回日本宣伝美術会の日宣美賞を受賞している。日宣美に入賞することはぼくらにとって最大の栄誉だったのだ。因みにぼくなどは手も足も出なかった。
その後、紆余曲折(うよきょくせつ)はあったものの、ぼくもイラストレーターとして生活できる身分になり、和田誠さんとも、会えば親しく話し、時には食事をしたり酒を飲む仲になった。
そんな和田誠さんとはじめて二人展(南青山のギャラリー、スペースYUI)を開いたのは二〇〇一年の十月だった。イラストレーターになってこんなうれしいことはなかった。
二度目は二〇〇四年の一月で、三度目は翌年のやはり一月だった。タイトルは「ON THE TABLE」で、翌年は「ON THE TABLE(2)」とした。この二度の展覧会の画は『テーブルの上の犬や猫』というタイトルで文藝春秋から出版した。その後、二〇〇六年の三月にやはり二人で「PARTNERS」を開き、二〇〇七年の四月に「ことわざバトル」を開いた。この二つの二人展をまとめたのが、今回出版した『パートナーズ』だ(因みに二〇〇八年には「AD‐LIB」を開いている)。
二人展の作品の制作法は面白い。タイトル文字も一字ずつそれぞれが描く。絵の方も一枚の紙に二人で合作している。例えば「ことわざバトル」の場合は、二人で諺を選び、これは和田さん、これは水丸と、それぞれが担当を決める。作品は、半分ずつ受け持つことになる。これからが大へんで、一枚の紙に、先に描く方が左側に描き、描き終ったところで絵を交換し、空いている右側に絵を描くという進め方だ。和田さんが左側に描いた絵の右側にぼくが描くわけだが、失敗でもしたら和田さんにも、もう一度描いてもらわなければならない。とにかく失敗はできないのだ。仮に和田さんが失敗したとしても、「水丸君ごめん、もう一度描いてくれない」と言えるかもしれないが、ぼくからは和田さんには言えない。描いていて面白いのは、このぞくぞくする緊張感だ。今のところ一度も失敗がないのがうれしい。
展覧会「PARTNERS」改め「ライバルともだち」はそれぞれが、描いた人物になりきって対談風にまとめている。和田さんがシャーロック・ホームズ、ぼくが怪盗ルパンといった具合で話している。FAXのやりとりでの対談だ。ああ言えばこう言う、なかなか楽しい対談だった。
「ことわざバトル」の方は、受け持った諺についてエッセイを書いている。一つの諺から映画の話になり、落語のこと、歴史のことと、ない知恵をしぼって何とか書いた。「ぼくは何も知らないから」と言いながらも、和田さんの博学には恐れ入った次第である。
自分たちの本についてこんなことを書くのは気が引けるが、なかなか楽しい本に仕上ったとおもっている。永久保存版といってもいい。ぜひ書店で手に取ってみてください。
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