二人で工場見学の本を作ろうということになり、村上春樹さんと工場見学をはじめたのは一九八六年の一月だった。
京都にある人体標本の工場(工場とはいえないかもしれないが)からはじめ、全部で七つの工場をまわった。この本が『日出る国の工場』というタイトルで出版されたのが一九八七年の四月一日になる。もちろん春樹さんが文章を担当し、ぼくが絵を描いた。もう大分前の話になってしまったが、なかなか楽しい仕事だった。
少し余談になるが、この工場見学で最後に出かけたのが新潟県の中条町にある「アデランス」という“かつら”(今はヘアケアというのかな)を製作している工場だった。仕事が終って近くの温泉宿に一泊した翌日、新潟駅から東京へ帰るまで少し時間があり、タクシーの運転手に頼み、周辺をドライブした。その時まったく意味もなくまぎれ込んだのが村上市というかつての城下町だった。
春樹さんと歩いていると「村上新聞」という看板があった。村上春樹と村上市と村上新聞である。この村上づくしは面白い。ぼくは看板の下に春樹さんを立たせて写真を撮った。
村上市では今、国際的なトライアスロン大会を開催しており、春樹さんがこの大会に出場するようになったのは、この時の村上市との遭遇がきっかけになっている。
春樹さんは今年(二〇〇四)のトライアスロン大会にも出場、みごと完走した。
『日出る国の工場』の工場選びでもそうだが、春樹さんは“おかしなもの”が好きな人だ(人のことは言えないが)。風景にしても、おそらく日本三景などにはあまり興味がないだろう。ぼくはある雑誌の女性編集者に春樹さんを紹介されたのだが、それは当時ぼくが嵐山光三郎たちと某雑誌にへんてこなコラムを連載していたことに彼が興味を持ってくれたからではないだろうか。これがもし、朝日新聞や文藝春秋のコラムだったら、春樹さんには会っていなかったかもしれない。きっとそうだ。
そんな春樹さんが結成した(表現がややオーバーですかね)のが「東京するめクラブ」である。隊員は、隊長に村上春樹、それに春樹さんのいう「ちょっと変なもの」の世界的権威者である都築響一と、猫とヤクルトスワローズには目がないという吉本由美の三人だ。