「樋口季一郎」という陸軍中将の名前をご存知だろうか。
「日本人によるユダヤ人難民の救出劇」と言えば、杉原千畝(ちうね)が有名だ。リトアニア駐在の外交官だった杉原は、一九四〇年(昭和十五年)、同国に逃げのびてきた約六千人ものユダヤ人難民に対して特別ビザを発給し、その命を救ったと言われている。
だが実は、救出劇はもう一つ存在した。
時は、杉原の「命のビザ」発給より二年半も前にあたる一九三八年(昭和十三年)三月のことである。
満州のハルビン特務機関長だった樋口季一郎は、ナチスの迫害からソ満国境の地まで逃げてきたユダヤ人難民に対し、特別ビザの発給を実現させた。ドイツと日本の目を気にして、ユダヤ人難民の入国を拒んでいた満州国外交部に対し、樋口がビザ発給のための指示を与えたのである。このビザにより、多くのユダヤ人が生きながらえることができた。
この救出劇は、舞台となった地名から「オトポール事件」と呼ばれている。
しかし、この「オトポール事件」は、歴史の流れの渦中に紛れてしまった。
その理由としては、樋口自身とその家族の方々が、戦後、多くを語らなかったこともあるが、それ以上に、外交官だった杉原千畝に対し、樋口が陸軍の軍人だったことが背景として存在していたのではないかと考えられる。
樋口はこの救出劇に際し、当時、南満州鉄道株式会社(満鉄)の総裁だった松岡洋右とも折衝をし、協力を取り付けている。さらに、この「オトポール事件」に関し、後日、ドイツから抗議が行われ、樋口の責任問題が顕在化したが、これを不問に付したのは、当時、関東軍の参謀長であった東條英機であった。
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