シートンの自叙伝は、三九〇ページのかなり大部の本ですが、不思議なことに、シートンが創設した子どもの自然遊びの団体、ウッドクラフト・インディアンズの発足(一九〇二年)で終っています。この団体の発足はシートンの子どものころからの夢の実現でした。読者がその後の展開を知りたくなって当然ですが、年齢でいえばほぼ四十歳で自叙伝は唐突に幕を閉じます。
記者がシートンを訪ねたのは、ウッドクラフト・インディアンズの発足からほぼ四十年後、シートンは八十歳でした。この間にシートンは、マッケンジー川をカヌーで下るツンドラの探検、ボーイスカウト オブ アメリカの発足と同時に就任した団長の仕事、そして第一次大戦のアメリカ参戦を前にして団長を解任された事件、八年にわたるライフワークの「狩猟獣の生活」の執筆と刊行、そしてニューメキシコ州サンタフェへの移住とインディアンの知恵の大学の創設と運営などと、大活躍しているのに自叙伝では触れられていません。
この不自然さについて、シートンの業績を研究テーマにする複数の歴史家がじっさいには後半生の活躍を記した自叙伝の原稿は書かれていた、としています。しかも、その部分こそシートンがもっとも書きたい、世に伝えたいと望んでいたところだったといっています。しかし出版にあたって、妻のジュリア・シートンがボーイスカウト団長の解任をめぐって生じた夫シートンとボーイスカウト関係者との亀裂をますます悪化させないために割愛した、としています。
「あなたが今回の『自叙伝』に“書かれなかった”エピソードを一つ二つお話しいただけないでしょうか?」という記者のシートンへの問いは、後半部分の削除という問題をストレートに問うものになっている、とはっきり分かります。まともにこたえるなら、後半の原稿のすべて、特にどうしても公にできなかった部分について、シートンは記者に削った理由を明かす必要がありました。
本作品はフィクションですから、たとえ実在の人物をとりあげても、史実どおりに書く必要はありません。ただ、架空の話だけでは実在の人物を登場させる意味がありません。特に記者の問いである「自叙伝に書かなかったエピソード……」は、的を突く見事な直球であるだけに、別の差し障りのない話題に移ってあいまいに終らせてはもったいないように思えます。それはともかく、削除された自叙伝の後半部分の問題は、この作品のどこに反映されているでしょうか。おそらく第六作、「三人の秘書官」がその反映と思われます。この短編でシートンは、アメリカ合衆国二十六代大統領セオドア・ルーズベルトとの親密な交友関係を語る一方で、動物のくらしの細部に目を向けようとしないルーズベルトにいらだちを募らせています。ついにはスポーツ・ハンターである彼に「殺す者が殺される者の思いを理解できるだろうか」と疑問をぶつけます。そして、これは作者の結論と思えますが、シートンにこう語らせています。
「結局のところルーズベルト氏は、あの“けっしてライフルを手放そうとはしない白人男性”の一人でした。あの事件のさい、自然に少しも目をむけようとしなかったルーズベルト氏の行動を通じて、私は彼の内にひそむ矛盾――彼の本当の姿――に気づいたのです」。いわば、友情の決裂の宣言です。ただ、じっさいそのとおりだとしても、個人的な対立にとどまっていた、と見なければなりません。
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