『シートン探偵記』は、作者柳広司が敬愛する北米のナチュラリストで動物物語作家、そして画家でもあったアーネスト・T・シートン(一八六〇~一九四六年)を讃える、短編ミステリーで構成されています。「カランポーの悪魔」を始めとする七連作で、いずれも題名にシートンの代表作あるいはその登場人物を想起させる名称が使われ、オマージュ作品と分かる仕立てです。その眼目も明白で、シートンに探偵役をになわせるためだったでしょう。
おかげで奇想天外な事件を、スマートに解決に至らしめる、まことにユニークな筋立てのミステリー作品を楽しめます。事件にかかわる動物の習性学の描き方も素晴らしく、シートンのミステリアスな言動の意味が事件の解明を通して解き明かされて、世界が多彩に見えてきます。
といったことからまず気づかされる大きな関連の一つは、ナチュラリストと探偵は、かすかな痕跡や微妙な表情などの、注視すれば誰の目にも見える証拠から大きな全体を捉える、という探求の手法が共通しているという事実です。これが、シートンがシャーロック・ホームズも顔負けの機智を発揮して、特異な事件を解決できる前提といえます。そして、物語の進行をリードする重要な登場人物である新聞記者が、じつは作者、柳広司のもう一つの顔とわかってきます。
すなわち、この作品にはシートンに加えて作者自身という実在の二人の人物が登場し、時空を超えて会話し、友好を深めます。読者は、柳広司のシートンへの傾倒は並々ならぬものがある、と記者とシートンとの会話から感じ取ります。と同時に、シートンと柳広司の二人が作品中で友好を深めることで、何を伝えようとしているのだろうか、という問いをもちます。
そこで少し二人の出会いの場面を注視してみましょう。「カランポーの悪魔」の冒頭で、『シートン動物記』を読んだ子どもがシートンに出した手紙の一節が紹介されています。ロボを殺したシートンを「最低のひきょう者」と非難する手紙です。サンフランシスコの子どもの読者が書いた実在の手紙ですが、作品中では記者が子どものころにシートンに出した手紙とされていて、記者とシートンが遠い過去の手紙を話題にすることで心理的な距離を近づける、という大切な役目をにないます。そしてシートンが手紙を大切にしていたわけを知った記者がシートン理解を一段と進め、シートンへのわだかまりをときます。記者は柳広司ですから、この作品はシートンの蘇り、再評価になっています。ひょっとすると、これが作品中に二人の実在の人物を登場させた意味でしょうか。
でも、それでは個人的な理由に過ぎるかもしれません。そこでこの作品が創出している最高にスリリングな場面をクローズアップして、この問題を別の角度から検討してみましょう。「カランポーの悪魔」で記者は、ニューメキシコ州サンタフェのシートン村を訪れます。一九四〇年、シートンが自叙伝を刊行し、記者は書評を書くためシートンにインタビューを申し込んでいました。そして、「あなたが今回の『自叙伝』に“書かれなかった”エピソードを一つ二つお話しいただけないでしょうか?」とシートンに問います。
シートンはこの問いに、
「弱りましたね。書かなかったことについて話せと言われましても……」
と一応はこたえていますが、内心、記者の問いにどきっとして、「話そうか、いや話す訳にはいかない」と、ためらっているかのようです。
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