この金誠一を主人公に据えたのが「鼠か虎か」という短篇です。彼の“失敗”について、これまで誰も提出していない解釈を施してみました。決してあり得ぬことではないと自負しています。
一般に朝鮮通信使といいますと、日本と韓国の間の友好のシンボルとしてのみ扱われている傾向があります。しかし、それにとどまらず、さまざまな歴史的教訓、奇譚の宝庫なのだということを感じてもらえれば、と思います。
今一人、印象に残っている人物を挙げるとすれば、「仏罰、海を渡る」で取り上げた松雲大師(ソンウンデサ)でしょうか。
実はわたしは彼が大好きでして、これまでにも、短篇「柳生外道剣」、長篇「徳川家康(トクチョンカガン)」で主要キャラクターに起用しています。松雲大師は、文禄慶長の役の際、単身、加藤清正の陣に乗り込み、和平を直談判したという豪傑です。その際、清正は大師の妖術というか、法力に誑かされたふしがある……。
それはともかく、実を云いますと、大師は朝鮮通信使なのではありません。秀吉の死後、家康の要請に応え朝鮮王朝から派遣されてきた番外的な使節団の長――というのが正確なところです。
しかしながら、日本と朝鮮の関係史、交渉史において、大師が果たした役割は並の朝鮮通信使以上のものがあり、これを洩らすのは惜しいと考えました。
また、朱子学を国教とし、仏教を排斥した朝鮮王朝が僧侶を使節団の長として送り込んできたことも意味深く、この一篇を挿入すれば、全篇を通しての変化球にもなると思った次第です。
ところで、朝鮮通信使を扱った書物では、一八一一年のものを以て最後とするのが通例です。しかし拙作では、明治時代に行なわれた二回のうち、最初のものを「朝鮮通信使いよいよ畢(お)わる」と題して小説化しました。
おそらくこれが、本書の最大の特徴ではありますまいか。といいますのも、はなはだ手前味噌ではありますが、このことにより、室町時代に始まって明治時代に幕を降ろした朝鮮外交使節の全貌を、今ここに初めて、通史的に概観することが可能になったからです。
室町から明治まで続いた朝鮮通信使を江戸時代だけに限定して語り、あれこれ論じることは、ナンセンスの極みだと思います。そんな視野狭窄なことをしていて、いったい日朝関係史のどんな実相が見えてくるというのでしょうか。
また、朝鮮王朝は日本に使者を派遣する一方、宗主国である明、清にも使節団を送っていました。これらを対比し、並列的に描くことによっても、新たに見えてくるものがあるはずです。大きくいえば、東アジアにおける日韓関係史、世界史に位置付ける日韓関係史とでも申せましょうか。
機会があれば、その辺りにも手をつけてみたいというのが、上梓を間近にしてふつふつと湧き上がってくる我が新たなる志なのです。
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