書評

エコノミストという危険な人種

文: 松原 隆一郎 (東京大学教授)

『エコノミストは信用できるか』 (東谷暁 著)

 文章が多くの人の人生を狂わせることがある。けれどもその文が散逸してしまうと、執筆者の責任もまた見えなくなってしまう。そうした文章を発掘し、執筆時の状況を添えて議論を総括することは、ジャーナリズムの重要な仕事であるはずだ。進歩的文化人の言動を過去に遡って再現し、検討した稲垣武氏の『「悪魔祓(あくまばら)い」の戦後史』(文春文庫)は、そうした仕事の代表作である。図書館の書棚から掘り起こされそこに引用された文章たちは、今読むと実に滑稽なたたずまいを見せている。

 たとえば寺尾五郎は一九五九年の北朝鮮訪問記において「日本が東洋一の工業国を自負していられるのは、せいぜい今年か来年のうちだけである」と語り、多くの在日朝鮮人に「北」天国説を吹き込んで、帰還を決意させた。だが帰還者たちは飢餓に追い込まれ、今や生きながらえているか否かも定かでない。歴史学者の菊地昌典は、文化大革命を批判する者を揶揄してこう述べた。「歴史に関する無知をさらけだしている……歴史の女神すら嗤いだすことであろう」。だが『ワイルド・スワン』や『毛沢東の私生活』以下、文革の惨状を記した書物は枚挙にいとまがなく、歴史の女神はなるほど大笑いしている。

 では、政府の経済政策に多大な影響を与える昨今のエコノミストたちの言説はどうか。不況に陥ってからのここ十年というもの、社会主義がバラ色に見えた時代に正義の言論でもてはやされた進歩的文化人の席に座っているのは、エコノミストである。東谷暁(さとし)氏の新著『エコノミストは信用できるか』は、マスコミで活躍するエコノミストたちの過去の主張を洗い出し、それがどれだけ聞くに価したのかを検証する労作だ。

 一貫性や的中度という点では、ここに取り上げられたエコノミストたちの言動はまるで喜劇役者と見紛うばかりだ。バブル期の地価の暴騰を「合理的」とみなした人。バブル末期の景気動向に楽観的な発言を行っておきながら、いざ景気が崩れると楽観視していた政府が悪いと言い募る人。ずばり『日本経済 日はまだ高い』という本を出版した人。規制緩和や構造改革を唱えていたはずなのに、一転して財政拡張に路線変更した人。財政投融資の改革を主張していたはずが、いつの間にか大企業株を財投で買い支えよと提言する人。アメリカでは自動車の販売の四〇%はeコマースで行われていると胸を張りIT革命論をぶち上げた人(四〇%というのは、なんと自動車の購入時にウェブサイトを参考にした人数の誤認であったらしい)。

 日頃彼らの片言隻句を読むだけで経済に疎い読者は、論者の自信満々の口振りに、十分な理論やデータをふまえているはずだと思うだろう。ところが過去の主張を呼び起こしただけで、そのいい加減さが露呈してしまう。まったく唖然とするしかない。

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エコノミストは信用できるか
東谷暁・著

定価:本体790円+税 発売日:2003年11月20日

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