松田 戦争とか大災害による大量死と日常的な名もなき死とを、同じ地平に並べてみるということですね。たしかに、死者という視点で現在の社会を見ていくという方法論は、意外な盲点かもしれません。それがこの物語を生み出す原動力になっているのだと思いますが、天童さんの場合はそれを全部自分の中に取り込みますよね。今回も主人公の坂築静人と同じような行為をなさって、創作ノートに書きとめていらっしゃるそうですね。
天童 「静人日記」ですね(笑)。静人になりきって、その日の新聞記事やテレビのニュースで見た死者の報道の中から、この人を悼もうと決めます。寝る前にベランダに出て夜空に向かってその人のことを想い、その人が亡くなったところへ自分が行ったら、遺族や近所の人からこんな話が聞けるに違いない、あんな話も聞けるかもしれない、というようなことを想像上で体験してみて、それをノートに綴る。その「静人日記」を2005年の12月から始めて約三年間、いまのところ一日も欠かさず……昨日もやりましたけど。
松田 2005年には、もう執筆は始まっていたんですか。
天童 連載はまだ始まっていませんが、執筆自体は始めていました。
松田 一度お書きになった原稿を、何度も捨ててましたよね。200枚書いたところで……。
天童 あ、これはだめだと(笑)。連載前も300枚くらい進んでたんですけど、捨てて書き直しです。僕の場合、書けると思ったら捨てちゃうという癖がありまして……癖というのも変だけど、今回も書き進めるうちに、「あ、これで書けちゃう、最後まで見えちゃった」と感じたので、じゃあだめだなぁと思って。
松田 たしか『包帯クラブ』のときも、最後まで見えちゃったからとおっしゃって……。
天童 捨てました(笑)。これは謙遜ではなく、僕程度の才能の者が最後まで見えてしまうようでは、その物語はだめだろうと信じているんです。いわばそれが僕の大事な基準なんです。自分でどう扱えばよいかわからない、どう先を書けばいいのかわからないという状態まで突き詰められれば、そこを通り抜けることができたとき、新しい物語が生まれているだろうし、これまでにない驚きや感動を読者に届けることができるのではないかと。
今回も奈義倖世という、夫を殺した過去を持つ女性が出てきますが、最初は暴力的な夫を思い余って殺したというシンプルな設定で進めていたのですが、書いている途中で最後には静人を通して彼女の中で死者との折り合いがつくという道筋が見えてしまったんです。その時点で、あ、これではだめだ、何かが違うという想いが湧いてきて、いろいろ試行錯誤するうちに、夫の亡霊のような存在が彼女に取り憑いて肩の上から話しかけてくる、というアイデアを思いつきました。どうすればこの亡霊を成仏させることができるのだろう、これはとても自分の手には負えないと思ったので、逆にこれなら進められる。ぜひこれをやりたいと思って、文春さんに「ごめんなさい、またちょっとやり直しです」と(笑)。
松田 たしかに読者にとっても、予定調和的な物語は退屈です。小説を読むことで、いままで出会ったことのない何かに出会いたいという願望を、読者も持っているはずですから。
天童 読者の欲求もいろいろあって、馴染みのある恋愛小説やミステリーで、読んでいる数時間をしっかり楽しませてほしいという人が一般的でしょうし、そういう読者の欲求に応えるのが職業作家の腕の見せどころという面があると思います。ですが、天童荒太という作家に求められているのは、そうしたことではなくて、人や社会をこんなふうに見ることもできるのだ、こんな違った生き方もあるのだという、新たな発見や別の道の提示なのだろうと思っているんです。
天童荒太×松田哲夫 「この世界に一番いてほしい人」
第1回:プロローグ
第2回:読者の声と作家の決意
第3回:静かな作品世界(1)
第4回:静かな作品世界(2)
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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