松田 2006年にちくまプリマー新書から『包帯クラブ』が刊行されていますが、ハードカバーの単行本としては7年、いや8年ぶりですか?
天童 2000年の11月に短編集を出して以来ですから、ちょうど8年ぶりですね。
松田 そうすると、『悼む人』の構想はいつ頃から出てきたのでしょうか。
天童 創作に関して思いついたことを書き留めるノートがあるのですが、それを読み返すと2001年の10月くらいから、のちに『悼む人』につながってゆく言葉やアイデアのメモがぽつぽつ出始めています。そして、同じ年の12月26日に電車に乗っている時に、『悼む人』というタイトルが下りてきたようです。
松田 2001年12月ですか。
天童 ノートの日付を見ると、26日に思いつき、翌日の27日に書き込んだとあります。タイトルにつづいて、「多くの人の死にふれ、悲しみを背負いすぎて倒れてしまった人」「何もする気にはなれず、ただただ悼んでいる」と書かれ、つづいて「悼み=痛み」と、語呂に掛けて少し象徴的なことが書かれています。
松田 今からちょうど7年前に構想が生まれたわけですね。
天童 2000年に『あふれた愛』を集英社さんから出させてもらって、次の単行本は文春さんからという前々からの約束通り、ある物語を1年ほど準備して進めていたんですが、いま言った形で突然『悼む人』のインスピレーションが下りてきて、これをやるべきだと直観的に感じたものですから、進めていた話はやめにして、一からやり直したんです。
9.11と10.7
松田 書こうとする作品が変わったのには、なにか理由があったのでしょうか。
天童 今回の小説は、人々の死を悼んで旅する人の物語、という主題からして、繊細に語らないと誤解されやすい点があると思っていて……ことに政治的なことを持ち出すのは避けたいし、実質的に関係もないのだけれど、きっかけのひとつとして、2001年に起きた大きな事件が僕の精神に影響を及ぼしたことは否定できないと思っています。
松田 9.11という新たなショックが、天童さんの構想に変更をもたらしたわけですね。
天童 むしろ、そのあとですね。シンボル的な数字で言えば9.11より10.7。報復的な攻撃の日です。やられたこと以上に、やり返したことに対するショックの方が、僕には大きかった。あれだけの人が死んだのに、その死をみんな本当に悼んだのだろうかと。悼む間もなくやり返し、いたずらに死者を増やした。しかも、やり返した国はキリスト教を信じている国です。キリストはそういう報復を許さないはずなのに、強い信仰を持つ国がやり返し、ほとんどの国民がそれをよしとした。反対したのは実は被害者の遺族たちだった。
ほかの先進諸国もふだんは人権や博愛的な信仰を大切に語るのに、この報復は黙認した。日本人の中にも9.11の被害者がいたけれど、当時の日本の政治のリーダーたちは被害者の方の名前をそらで言うことができたでしょうか。たとえば首相が被害者の方の名前を国会で一人一人読み上げて追悼することが、本当に必要なことだったように思います。実際は、報復的行動に賛同が示されるのみで追悼的な行為はなく、国民の多くもそれをおおむね許容しました。
決して理想論的なことを語る気はないんです。暴力が横行する地域では、より強い暴力を背景に介入しないと、一時的にしろ平和が訪れないというのは、国連も認めている現実です。けれど、そうした平和は非常に脆(もろ)いことも知られていて、なのに暴力をもって臨まずにはいられない人間の限界を、まざまざと見せつけられる悲劇がつづいたんです。
どうにもならないのかという絶望感のあまり、僕の中の核となる部分が地に顔を伏せるような、背中がたわむような感覚を覚えるようになっていきました。そんなとき「ただ悼むことしかできない人間」が、自分の中に下りてきたんです。人間が最終的に願うことの一つは、自分や愛した者のことを、人に忘れずにいてほしいということでしょう。そして、どんな人も差をつけずに悼むということは、生きているどんな人も区別せずに公平に向き合うことにつながるように思ったんです。だから、どんな死者であれ等しく、永く悼み続けてくれる人、彼こそが、僕がいまこの世界において一番いてほしい人間だと信じられ、いわば僕の最も希求するヒーロー像を書いてみようと思ったのが<悼む人>です。
その一方で、作中で雑誌記者の蒔野(まきの)が言うように、それが何になるんだ、何の意味もないじゃないか、という僕自身の現実感覚も確かにある。だから、逆にそうした現実感覚をきっちりと書き込むことによって、<悼む人>の存在を熱望する僕の感情が、読み手にも伝わるのではないかと。執筆を始めるまでの数年間、その可能性を探り続けました。
松田 『家族狩り』や『永遠の仔』といったこれまでの天童さんの作品では、たとえば「家族の問題」や「若者たちが心に受けた傷」といったテーマがひとつの作品にとどまらず、次々と受け継がれ、繋がっていきました。それが今回、「傷」から「死」へ、さっきのノートのメモにあったように、「痛む」イコール「悼む」へと突き詰められていったわけですね。
天童荒太×松田哲夫 「この世界に一番いてほしい人」
第1回:プロローグ
第2回:読者の声と作家の決意
第3回:静かな作品世界(1)
第4回:静かな作品世界(2)
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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