『池袋ウエストゲートパーク』のシリーズも、ついに四冊目になってしまった。オール讀物推理小説新人賞の応募作として、続きのことなどまったく考えずに書いたのが、かれこれ七年まえ。そのころの感想は、「あーあ、おもしろかった。こんな感じなら悪くないじゃないか」であった。賞をもらえるかは別にして、とにかく書いていてすごく楽しい作品だったのだ。
それがあの賞にはめずらしく単行本化され、なぜかテレビの映像になり、いまだに語りつがれる伝説のドラマとなってしまった。そういえば、この春には二時間のスペシャル版もオンエアされていたっけ。放映終了から三年たった現在も、DVDはよく売れているようだ。三カ月に一回振りこまれてくる印税は、ぼくのいいおこづかいである。
どうして、こんな社会現象(放映後の夏は西口公園にキングをまねた白いタンクトップの少年が大量発生していた!)になってしまったのか、渦中にいるぼくにはぜんぜんわからなかった。それはこの夏の直木賞もまったく同じことである。当人はぼんやりしているのに、周囲の空気だけがものすごい勢いで回転している。ちいさな台風の目にでもなった気分だった(こちらのドタバタは現在進行形ですが)。なんだか、マコトもぼくもずいぶん遠いところまできてしまったようだ。
そこで『電子の星IWGP4』である。よく人にシリーズものを書くことの苦労をきかれるけれど、すくなくとも池袋のシリーズにかんしていえば、ぼくには苦しみはない。小説誌にもらった(ぎりぎりの)締切を走り高跳びの選手のように毎回クリアしていくだけだ。オビにも書いたように、感情表現(涙)と現代的なテーマ(電子)を必ずひとつの組みあわせとして、百枚の中篇のなかにいれていく。古いものと新しいものを、互いに照らしあうように配置するのだ。すでに主要な登場人物のキャラクターは立ちあがっているし、文体は研ぎたてのナイフのように切れのいいものが用意してある。書くうえでの労力は、それだけでほかの作品の半分になるのだった。