- 2024.09.12
- 書評
今と昔の垣根を壊す、“この社会に暮らしているだけで生じる”鬱々とした気分
文:吉田 大助 (書評家・ライター)
『ペットショップ無惨 池袋ウエストゲートパークXVIII』(石田 衣良)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
本書は、石田衣良の代表作『池袋ウエストゲートパーク』(IWGP)シリーズの十八冊目に当たる。今この文庫本を手にしているあなたは、購入前に内容の面白さを保証してもらいたくて解説から読んでいるのかもしれない。その保証をする前に、少しだけ。
二〇二三年一月一日、大手動画配信サービス・Netflixでテレビドラマ『池袋ウエストゲートパーク』の配信が始まり、数週にわたって再生回数トップ10入りを果たした。二〇〇〇年四月から六月にかけてTBS系で放送された同ドラマは、石田衣良の同名小説(シリーズ第一・二巻)を原作に、当時まだ二十代だった宮藤官九郎が初めて連ドラの脚本を執筆。メイン演出は堤幸彦監督が務め、キャストは長瀬智也、窪塚洋介、妻夫木聡、坂口憲二、高橋一生、佐藤隆太、阿部サダヲ、小雪、加藤あい、渡辺謙……と、錚々たる俳優陣が名を連ねた。本編終了から三年後に放送されていたスペシャルドラマも、第十二話(「SOUPの回」)として配信。至れり尽くせりだ。
熱狂したのは、当時を懐かしむ視聴者だけではなかった。配信を機に初めて観た、という令和の若い視聴者からも「面白い」の大合唱を引き起こしたのだ。その中には「激しい」という言葉も混じっていた。なにせNetflixが定めた同ドラマの視聴年齢制限は、十六歳以上推奨を意味する「16+」。飲酒喫煙暴力の三点セットに加え実在のギャングが出演するなど、現在の地上波ドラマではまず不可能な表現が目白押しで令和の今観ても「新しい」映像作品となっていた。ちなみに、『池袋ウエストゲートパーク』は同名タイトルで二〇二〇年にテレビアニメ化もされている(Amazon Prime VideoやU-NEXTなどで配信中)。こちらは、ドラマとは全く違うエピソードが原作として採用されている。
配信でドラマもしくはアニメの『池袋ウエストゲートパーク』を観て、原作小説を読んでみようと思った人は少なくないはずだ。今この文庫本を手にしている、あなたがそうかもしれない。しかし、実のところちょっと悩んだりはしていないだろうか? シリーズものなのだから、きちんと一作目から読み始めるべきなのではないのか、と。そんなあなたには「どの巻から読んでも大丈夫です」と伝えたいし、「この巻から読んでほしい」と伝えたい。その理由を記すことで、面白さを保証することとしたい。
言わずもがなではあるが、主人公のマコトは東京・池袋で実家が営む果物店の店番をしつつ、トラブルシューター(本人いわく「この街専用のなんでも屋」)として活動している青年だ。事務所で安楽椅子に座るのではなく、自らの足で街を動き回ってたくさんの人と喋り、傷だらけになりながら事件解決に奔走する。物語はマコトの語りによって進む形式が採用されており、一人称は「おれ」。時おり「あんた」と語りかけ、作品世界と読者が生きる現実とは地続きであること、ここに記されているのは「おれたち」の物語であることを突きつけてくる。
マコトはストリート・ファッション誌で「ストリート」の今を綴るコラム連載を抱えるライターでもある、という点は重要だ。このハードボイルド探偵の何よりの武器は、ペン(言葉)なのだ。とはいえ、事件を解決するためには言葉だけでは足りないこともある。警察組織に頼る場合もあるが、超法規的な措置をとる方が手っ取り早いし、そうせざるを得ない状況が次々に噴出する。そこでマコトは池袋を根城とするアウトロー集団「Gボーイズ」、その王である盟友・タカシに連絡を取る。頭脳派のマコトと武闘派のタカシの共闘が、各話のクライマックスをなすことが多い。
どの巻でも基本的に春夏秋冬の一年間が、全四話の連作短編形式で描かれていく。そして一話ごとに、社会問題──「おれたち」の社会に潜む問題──を背負った依頼人が登場する。「どの巻から読んでも大丈夫」であると記した理由の一つは、著者が連載時にその都度選び取った社会問題が全く古びていない点にある。このことは、次のように言い換えることができる。著者が選び取った社会問題は、今も解決していない。今なおこの社会に存在する問題だからこそ、古びないのは当然なのだ。
また、本シリーズは、バブル崩壊後のいわゆる「失われた十年」と呼ばれる時期にスタートした(第一巻収録の第一話は、一九九七年度オール讀物推理小説新人賞受賞作)。よく知られている通り、日本経済は今や「失われた三十年」と呼ばれ、数字はさらに更新中だ。どの巻をめくっても、そこには不況や不景気の風景があり、いつの時代も若者たちは、大人たちが作りあげた社会にとりあえず身を委ねていくほかない。彼らが抱くこの社会に暮らしているだけで生じるその鬱々とした気分はよく知っている、彼らの感情は自分も経験した(している)という頷きが、今と昔の垣根を壊す普遍性を獲得している。本シリーズは、時代を真空パックのように閉じ込めているという印象があったが、むしろ時代を超えた普遍性をより強く感じたのが、今回全巻を読み返してみて得た発見だった。
実は、著者は『PRIDE─プライド 池袋ウエストゲートパークX』(二〇一〇年刊)でシリーズ第一期を完結させ、四年後に『憎悪のパレード 池袋ウエストゲートパークXI』で再始動を果たした。その際、冒頭で〈池袋のマジマ・マコトも、もう二十代後半になった(正確な年は秘密だ)〉と記し、以降は、第一期にはあったマコトが歳を重ねる描写をシリーズから排除している。主人公が二十代後半で留まり続けることもまた「どの巻から読んでも大丈夫」の安心感に寄与している、と言い添えておきたい。
以上の文章は「この巻から読んでほしい」理由でもあるのだが、より具体的に本巻の推しポイントを記しておきたい。第一編「常盤台ヤングケアラー」は、マコトがコロナ禍真っ只中のクラブでサチという少女と出会うところから始まる物語。ネット売春アプリの元締めに目をつけられていた彼女は、若くして祖母の介護を引き受けるヤングケアラーだった。この一編には、マコトらしさ、シリーズらしさが詰め込まれている。マコトは少女に何をしたのか。彼女の話にじっくりと耳を傾けたのだ。そのうえで、彼女がやりたくないことは何かと小さな問いを投げかけた。言葉を何よりの武器とするこのハードボイルド探偵は、相手の言葉を聞きとどける力、語りださせる力の持ち主でもある。
この主人公の脳内には、速い回路と遅い回路、二種類の回路が存在することも、この一編からよく分かる。例えば敵対する相手には、速い回路を利用する。相手の人間性の解像度が高くない(対話関係にない)からと言って、情報を集めるために時間を費やしていたら事態が悪化してしまう。その場合は、悪賢い奴ならこう考えこう行動するだろうという経験値による類型から推察する、速い回路で対応する。しかし、自分の目の前にいるたった一人を救うためには、遅い回路を使うほかない。誰しもに効果のある万能の言葉など存在しないと認めたうえで、どんな言葉が届くのかと時間をかけて模索するのだ。第一編が感動的なのは、そうした時間の厚みがスルーされず作中に書き込まれている点にある。〈こんなに重い話をきいて、おれに救命ボートなんて出せるのだろうか〉〈おれは自分が追い詰められていることを知った〉〈おれは息を詰めてきいていた。おかしな慰めなんて、どうにもならない〉。そうしたモノローグが積み重なっていった先に、マコトはある言葉を放つ。それは、相手の言葉をしっかりと聞いてきたからこそオーダーメイドできた、目の前のたった一人のための言葉だった。
外国人技能実習制度という題材を切れ味いいミステリーに仕上げた第二編「神様のポケット」、マコトの仲間で北東京一のハッカー・ゼロワンが恋に落ちる顛末を描いた第三編「魂マッチング」。最終第四編「ペットショップ無惨」では、ペット産業の闇をとことん掘り進めていく。もしもノンフィクションであればうっとなり読み進めるのをためらったかもしれないが、それまでの三編で確立された、目を背けたくなるような現実もありのまま受け止めようとするマコトという語り手への信頼感があるからこそ、躊躇せず読み進めることができる。客観的に考えてみても、「最初の一冊」としてオススメの一冊と言える。
シリーズは現在、『神の呪われた子 池袋ウエストゲートパークXIX』まで刊行済みで、第二十巻の単行本が間もなく刊行予定と聞く。この社会は今どうなっているのかを、マコトの視点と物語を通して察知したい。そして、放っておけば憂鬱に満たされるこの世界で、言葉は無力ではないということ、人と人は繋がることができるのだということを腹の底に叩き込むために、これからもこのシリーズを読み続けたい。
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