高橋 これまでも自分の小説をテレビドラマ化していただいたことは何度かあるんですが、映像は長さの関係もあるし、言葉づかいや状況設定、原作にないヒロインの登場など、ひとつを変えることで、世界観がどうしてもずれてしまう。原作者としては常に歯がゆい気持ちがあったんですが、水谷さん主演の「だましゑ歌麿」(2009年放送)を観て、本当に驚きました。長編を2時間の枠にしているから話は違うんだけれど、小説と世界が一緒なんです。監督の吉川一義さんや脚本の古田求さんの力があってでしょうが、状況が違えば自分が書きそうだと思う方向へ見事に進んでいく。こんなことは初めてで、兄弟みたいに身形(みなり)は少しずつ違っても、同じ線路を走っているような不思議な感覚でした。
水谷 それは嬉しいですね。いずれにしても原作はテレビドラマの魂のようなものですから、高橋先生の小説があってのことだと思います。幸い評判がよく、歌麿シリーズ第二弾が制作されるにあたっては、ドラマのために新しく「さやゑ歌麿」を書いていただいたんですね(「だましゑ歌麿II」として2012年放送)。これは時代劇では異例のことで、我々のために作品を書いてくださったというのは、ちょっとした自慢です(笑)。しかもまたそのお話が、よくこんなことを思いつかれるものだと感心するばかりでした。次々に正体の知れぬ敵が現れて、とにかく歌麿はピンチの連続ですよね。
高橋 テレビドラマ化という前提があるのは励みになる一方で、物語のピーク作りに苦心しました。小説の場合は最終的に1冊になるから、1話目が硬派な話、2話目は少し柔らかく、3話目は静かな話でいこうと計算ができるけれど、映像のために1作ごとにテンションを上げなければいけないのが辛かったですね。なかなかストーリーを決められず、1年後に「かげゑ歌麿」、さらに半年かかって「判じゑ歌麿」を書きあげて、今回、単行本『かげゑ歌麿』としてまとめるまでにはずいぶん時間がかかりました。
水谷 どの作品を読んでいても非常におもしろいのは、時代小説でありながら、現代ものであるかのように登場人物の心の動きや、社会の状況がよくわかる。歌麿の世界の人々は江戸に住んでいるんだけれども、僕たちの世界にも同じように通じるものがありました。
高橋 もう15年以上前になりますが、週刊誌で『だましゑ歌麿』の連載を書くため、彼の人生をずっと追いかけていくと、女性をただ美しく描いただけの絵師じゃない。イメージと違う芯の強さや反骨心といったものが浮かんできました。そこでもともと自分の頭の中にあった歌麿は、強いたくましい男なんです。水谷さんの演じる歌麿は決して筋骨隆々というわけではないんですが、2作目を観たときに自分のイメージしていたものより、こちらの方が本当は強い――普段はむしろ女々しいくらいにおだやかで、気持ちをそんなに表に出さないけれど、その貌(かお)や行動が一瞬にして変わることで、より強さが表現されているような感じがしてね。
水谷 これはもう本を読ませていただいたときのイメージなんですよ。歌麿というのは、庶民の娯楽として絵を描いていた。普通に暮らしている人々をどうやって喜ばせたらいいのかを、いつも考えていたんじゃないかと思うんです。でも普通の人を喜ばせる仕事をしている人って、高橋克彦という作家もそうですが(笑)、実は普通じゃないんですね。歌麿もまた然りで、それをどこに求めたらいいのかというのが、まず自分の中にはありました。とにかく描くことで人を喜ばせた絵師なんだと思って演っていると、ある瞬間、男でも女でもない世界に行くような気がしたんです。役者としても珍しい感覚でしたが、特に絵を描くシーンで、芸術家というのはおそらくこういう不思議な世界にいたのかと……。
高橋 そこが作家と役者の違いでしょう。小説を書いていて歌麿の気持ちを考えていても、絵を描いているときにどういう気持ちになるかまでは、物書きはどうしても入り込めないんです。演じている役者というのは、それをなぞるというか、そっくりそのまま形に入るわけで、もっと深く中に入れるのかもしれません。撮影現場で水谷さんが歌麿さながら、実際に絵を描いていたのはびっくりしましたよ。
水谷 自分でも「え、なんでこんな線が?」って、不思議に思うんですが、シリーズが進むにつれてさらにうまくなったようです(笑)。剣の立ち回りも、最初と2本目ではまだ斬られ役の方たちが、僕の動きに合わせて倒れてくれたような印象でしたが、「かげゑ歌麿」が原作の3本目(テレビ朝日系ドラマスペシャル「だましゑ歌麿III」として7月27日よる9時放送天予定)で、ようやく歌麿として剣を遣っている感覚が芽生えてきました。監督に指示されてあそこからここまで動いて、この場面で笑って、次の場面では悔しがってというだけなら誰でも出来ます。でもそういう芝居ではないところ、むしろそこからこぼれ落ちるものが実は大事だと思うんです。だからカチンコが鳴ってカメラが回るぎりぎりまで、歌麿としてもっといいものを探し求めているところはありましたね。
高橋 ドラマ化も第3弾ということになると、歌麿の心をすっかり掴んで、人はどこで起つべきか、どこまでを耐えるべきかの見極めも、書き手よりむしろできているのかもしれません。これからは水谷さんの意見を参考にして歌麿シリーズを書いていきたいくらいです(笑)。
かげゑ歌麿
発売日:2016年04月22日