かつてある所で「荻原浩は悪ノリの作家である」と書いた。そうしたら、この解説のお仕事が追いかけてきた。書き逃げするなってこと? だったら、ついでにこれも加えたい。「荻原浩は含羞(がんしゅう)のひとである」と。
悪ノリしてるよなあと思った最初は、さらに遡る。当時出たばかりの短篇集『さよなら、そしてこんにちは』を巡って、某社文芸欄担当の女性と、どの篇が好きかという話になった。場所は居酒屋、別に読書会をしようというのではない、ましてや文芸評論をしようというのでもない、気の置けない女同士の世間話である。
あれもいい、これも捨てがたいと話が弾む中、彼女が最終的に票を投じたのは「やっぱりいちばんダジャレのきつい寿司屋のおやじの話かな」だった。私も、すぐ賛成票を投じた。客だねに不満な寿司職人が、グルメ本の覆面調査員らしき男の訪問で、鬼瓦の強面は保ちつつ、内心浮かれはしゃぐという話である。握った寿司を「ハマチ、ハウマッチ、はいお待ち!」と、下駄でピルエットしながらカウンターに置くようなシーンに半ば呆れ、ギャグに笑うというより、書く露悪に笑った。
都会派ソフトボイルドが書けるのは分かっている。ハートウォーミング・ストーリーが書けるのも知っている。切ないものが書けるのも十分思い知らされている。しかし、ここまでベタなおやじギャグも書くわけ!? 寿し辰の辰五郎には、完全に荻原浩が乗りうつっていた(気がする)。
そしてこれ以降、荻原浩の悪ノリは主人公に取り憑くだけでなく、主人公にスイッチをいれたら、痛い目に遭うまで暴走させるという形で磨きがかかっていく。例えば本書の兄貴分にあたる『ちょいな人々』の表題作がそう。オフィスの女子の「セクシーぃ」という世辞を真に受けたサラリーマン父さんが、その気になってオサレ街道を爆走する。クレリック・シャツが出てきたところで、私は数年前に出席した同窓会を思い出し、一瞬目をぎゅっとつぶっていた。あ、それだめ、似合わないから。中年お稚児さんになるから。
抵抗できない状況を設定して、いい気になりやすい人、調子に乗りやすい人、気の弱い人、無防備な人を存分に転がし、その過程でだだ漏れしてくる人間の愛嬌で笑わせる。荻原印のユーモア短篇が、ある種の型として完成した作だったのではないかと思う。
ユーモア短篇はいい。役に立つわけでも、人間関係がよくなるわけでも、人生が劇的に改善されるわけでもないが、くすっと笑えば、どんよりした日常に一瞬陽が射す。
というわけで本題の、この『幸せになる百通りの方法』である。本書は二〇〇八年から二〇一一年の間に書かれた。二〇〇八年といえばリーマンショック、二〇一一年といえば東日本大震災。著者が主人公を放り込むべく用意したのは、オレオレ詐欺、婚活、ネットゲーム、歴女、フクシマ第一原発事故による節電ライフなどで、時代を象徴する出来事やトレンド、世相が取り上げられている。時代という大状況に庶民は抵抗できない。これ以上ない舞台設定だ。しかし、これによって本書を社会派ユーモア短篇集などと呼びたもうことなかれ。“荻原版『クローズアップ現代』~笑ってヘコむ平成の小市民史”くらいがちょうどいいのではないかと思う。
収録順にご紹介しよう。
幸せになる百通りの方法
発売日:2014年09月19日