書評

良質な戦争文学の結実

文: 雨宮 由希夫 (文芸評論家)

『水色の娼婦』 (西木正明 著)

 これら西木作品を「事件」ではなく「人」の側から観ると『孫文の女』『わが心、南溟に消ゆ』など流民、棄民となった日本人を扱った作品がもう一つの柱として際立っていることがわかり、最新作の『水色の娼婦』はこれら二本の柱のエキスを濃厚に取り入れた、文字通りの西木文学の集大成といえる。

 物語は1989年11月のベルリンの壁崩壊の3か月半後の1990年3月に、著者の分身と思しき語り手の「私」がベルリンを訪れるところから始まる。「ベルリンで生まれ、あるいは長く生活してきた人々が、どんな思いでこの歴史の転換期に向き合おうとしているのか」に関心を抱く「私」は、「大国のパワーゲームに翻弄されながらも、したたかに生き抜いてきた人々の人生を描いてみたい」と思う。

 ほどなく、若いころは娼婦を兼ねていた元タンゴバーの踊り手エヴァ・ミツ・ロドリゲスとの出会いがある。取材を通じて、主人公エヴァの生い立ちからつらい体験までが赤裸々に語られる。

 エヴァは日露戦争直後、孤児同然の生い立ちから女郎になった日本人女性を母とし、アルゼンチンの軍人(当時海軍大佐、のち海軍大臣)アンヘル・ロドリゲスを父としてアルゼンチンで生まれた。母の名は大城ヤエ(ヤエ・オオシロ・ロドリゲス)、沖縄の出身。養母の名は江原トミエ(トミエ・アイダ・メンデス)、旧会津藩士の娘で、戊辰戦争の際に身内の大部分は官軍を名乗る新政府軍に殺された。身寄りのないことでは同様の二人は横須賀の遊郭で遊女となるほかに生きる術はなかった。

 アルゼンチンは日露戦争時に、日本の勝利にいくばくかの貢献をした。それに報いるべく、日本海軍はアルゼンチンから派遣された二人の将校を厚遇した。二人の身の回りの世話をすべく宛がわれたのがヤエとトミエであった。

「自分の体内に流れる日本人の血」を意識するエヴァはやがて霧の彼方にいる母親の輪郭を掴んでいく。

 ヴァイマール時代、一世を風靡したタンゴバー『エル・スール』がベルリンにおいてエヴァが生活の糧を得る場であり、政財界やドイツ国防軍、SS(ナチス親衛隊)の幹部将校たちがエヴァの主な顧客となる。架空の人物も含まれているが、数多くの人物が実名で登場してくる。

 ヘルマン・ゲーリング(ナチスドイツのナンバー2)、フリッツ・ヴィーデマン(ナチスドイツのサンフランシスコ総領事)、ハンス・シュバルツ・ヴァンベルグ(ナチス党の機関紙『デア・アングリフ』編集長)、ユーゼフ・ベック(ポーランドの外務大臣)、ドウシュコ・ポポフ(二重スパイ、ジャーナリスト)などなど。

 エヴァとの出会いの面白さ、そして、出会いによる人間関係が、独ソ不可侵条約の締結、ドイツのポーランドへの侵攻、イギリスのドイツへの宣戦布告独ソ戦のはじまり、日本の運命を決定づけた日米交渉の開始、日米開戦、アメリカのヨーロッパ戦線への参入等々、第二次世界大戦の戦局の変化に連れ後々まで関わっていく。

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水色の娼婦
西木正明・著

定価:1785円(税込) 発売日:2013年09月07日

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