入社五年目、ついに菊間にメイン司会の仕事、昼ワイド「2時のホント」の依頼が来た。ここで菊間は「この仕事を受けるべきか否か」を私に相談しに来た。「入院の時に受けた取材がとてもいやだった。自分がいやだった事と同じような事をするワイドショーの司会をするべきでしょうか」。私は、阪神大震災の取材経験など、ワイド番組の功罪のうち“功”を語り、外でとび回る菊間のスタイルに一区切りつけるためにも、スタジオMCであるこの仕事を引き受けることを勧め、彼女は受けたのだった。
TV画面上は考えるより前にまず走るように見える菊間は、実は、何かことを起こすときにはかなり考えてから行動に移している。入社五年でメインMCなら、喜んで受けそうなものだが、この番組でいやな気持になる視聴者がいるかもしれないという立場の弱い人たちへの思いは、何も弁護士を目指していて生まれた感情ではない。山あり谷あり(この谷が深い深い)の人生の中で、自分がくじけそうになった経験が彼女の周りに対する目の配り方を深めていると思うのだ。もしかすると、それは弁護士の仕事をするために培われたものなのかと思う程、彼女の人生は何かに導かれているがごとく弁護士につながってゆく。いや、また知ったようなことを書くと、「自分で決断してきめてますよー」と言われそうだが……。
人の記憶というものは曖昧である。菊間はてっきりもう一つの谷間(入社十一年目、未成年者との飲酒問題)で全番組降板というあまりのつらさから、逃げるようにロースクール(弁護士という道)を模索したのだと思っていた。多くのフジテレビ関係者もそう感じていたと思う。しかし、彼女がロースクールに通い始めるのは全番組降板の数ヵ月前だった。私が本書の中でもっとも感銘を受けたのは、冒頭の十五~十六ページの部分だ。彼女はシドニー五輪からアテネ五輪への四年間、女子バレーの頑張りを見て「私はこの四年間なにをやってきたのか?」と自問自答している。しかもアナウンサー業が楽しいと感じているときにだ。
ここが菊間の菊間たるゆえんである。その半生を俯瞰(ふかん)してみると波乱に満ちた流れの中で、すべては弁護士になるための出来事であり、導かれるように弁護士になったと総括できるのだが、これらはみな自分に対する真剣な評価があってこその選択だったのだと思う。辛いから別の道とか、とりあえず、今はうまくいっているからこの流れに乗ろうなどという発想は、彼女にはないのだ。
その菊間が、突然結婚した。
驚いた。自分の全く知らない人であったことも驚きだった。放送界でも、もうひとつの法曹界の男性でもなかった(きっと、また自分に対する真剣な評価をしたのだ)。披露宴の菊間は美しかった。相変わらずあっけらかんとケラケラ笑うので、今日ぐらい花嫁らしくできないものかと思ったりした。
そして回ってきたスピーチで私はこう話した。「私は、これほど自分の人生を自分の力で切り開いてきた人物を知りません。これからもそういう人生を歩む女ですから、夫についていくということはないと思います。ただ、『そうやって自由に生きていいよ』と言ってくれる人だから、菊間はあなたを旦那さんに選んだのだと思います。覚悟してくださいね」。
人生は一人で歩むより二人で歩む方が楽しく力強いが、難しい。まだまだ、菊間の山あり谷ありは続くのだ。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。