一読三嘆した。これほど巧妙に隠されたどんでん返しの伏線は、初めてだ。
物語は昭和五十九年十一月、東京近県の大都市で起きた強盗殺人事件に幕を開ける。台風の夜、不動産屋の夫婦が店舗兼家屋で刺殺されたこの事件を担当するのが、主人公である若き刑事(中山作品でリンクしている登場人物のひとり。あえて名前は伏せる)と所轄で一番の検挙率を誇る「古強者」の警部補、鳴海健児だ。「薄弱な根拠を強引な捜査で補完する」手法で成果を上げる鳴海は、容疑者を逮捕し自供に追い込むためには、違法捜査も厭わない。刑事に成り立ての主人公は鳴海の手法に違和感を覚えつつも、「刑事としては途轍もなく優秀」な先輩に従うしかない状況だった。
とにかくこの鳴海が、半端ではない。任意同行した被疑者を殴る蹴るの暴力で自供を引き出し、証拠を捏造してまで(血のついたジャンパーは袴田事件を髣髴させる)犯人に仕立て上げるのだ。ミステリーや司法に詳しい読者は、この過程でいくつもの違和感を覚えるだろう。鳴海は暴力を使い、十人近い捜査員で長時間の取り調べに当たり被疑者の楠木を追い込んでいく――明らかな特別公務員暴行陵虐罪であり得ない、と感じた段階で、すでに作者の仕掛けた罠に嵌っている。今年冤罪が確定した袴田事件はどうだったか。昭和四十一年の話で、さすがに昭和五十九年ではないだろう、と感じる読者は、平成二年に起きた足利事件を思い出して欲しい。
作者が上手いのは小さな違和感を積み重ね、読者に立ち止まることを強要している点だ。最たるものは、任意の取調べ中に逮捕状を取るシーン。金庫に付着した指紋だけでは逮捕状が取れないと踏んだ鳴海は、強引極まりない手法で楠木の自供を得る。が、供述調書に署名捺印させた直後に、別の刑事が殺人容疑の逮捕状を楠木に突きつけるのだ。裁判所への申請時間はない。つまり、すでに逮捕状は用意されていたことになる。逮捕状を請求できるのは警部以上の司法警察官に限られる。したがってこれは、警部補でしかない鳴海の独断専行ではなく、組織ぐるみの違法行為である。こうして作者は、実に巧妙に、腐り切った警察組織を暗示して見せる。唸るほかない。
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