アメリカ戦での勝利は国中を幸せにしたが、その一方で政府は複雑な思いを抱いた。代表チームがペルシャ民族の優位性を証明したことは政府にとって都合がよかったが、人々が暴走したことは政府を不安に陥れた。
アメリカ戦の夜に現出した巨大な混乱は、七九年のイスラム革命を想起させた。興奮した群衆は、何をするかわからない。誰かがもし、政府打倒や革命を口にしたら……。 政府はそれを恐れた。
フランス大会から四年後の〇二年日韓大会に、イラン代表の姿はなかった。予選で敗れてしまったからだ。 「アメリカ戦の混乱が再現されることを、政府は望まなかったから、弱小バーレーンに負けるよう、チームに圧力をかけたんだ」
サッカー談義に付き合ってくれた多くの人々が、声を低くして陰謀説を囁(ささや)いた。
サッカーを通じて、筆者はイランという国の特殊性を学んだのだ。
実は日本も、非常に特殊な国だ。これほど豊かかつ便利で、計画通り物事が進む国は、世界のどこを探しても見当たらない。
これらの個性は、良くも悪くもサッカーに色濃く投影されている。決められた応援を延々と繰り返すサポーター、シュートを打たないストライカー、芸能タレントが幅を利かせるサッカー番組……。これらは日本でしか見られない特異な風景である。
目前に迫る南アフリカ大会に向けても、日本代表は日本独自の試みをしようとしている。それは岡田武史監督の再登板だ。
岡田監督はフランス大会で日本代表を率い、〇勝三敗と惨敗した。実はワールドカップ史上、〇勝三敗の監督が同じ代表チームを率いて本大会に出るという例は、いまだかつてない。
これは日本という豊かな国に生まれ育った民族の、権威を無条件に受け入れる気質を表わしてはいないだろうか。強豪国の代表監督は、叩かれながら名将へと鍛えられていく。一方、日本における代表監督は、そのポストに就いた時点で名将となる。つまり〇勝三敗監督の再登板は、日本ならではの選択といえるだろう。
サッカーを取り巻く何気ない光景に、実は日本らしさが映し出される。世界が一堂に会するワールドカップは、「日本人とは何か」が問われる舞台でもあるのだ。
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