それまでも海を扱った作品を得意としていた作者だが、実は作品数は、それほど多くなかった。エッセイ集『水軍の城』の冒頭を飾る表題作で、
「海を舞台にした作品は私の全作品の中で、二、三割を占めるにすぎない」
といっているほどだ。きちんと作品を俯瞰すれば、たしかにその程度の割合であった。だが、第一長篇『鷹ノ羽の城』の主人公が、肥後の武将と南蛮女の間に生まれたという設定を持つように、どこか海と繋がった部分があり、海のイメージが常に付きまとっていた。そうした海へのこだわりを示した『海狼伝』で直木賞を受賞したことにより、作者の方向性は、より明確になる。海を舞台とした作品を集中的に執筆し、歴史・時代小説の世界で、本格的な海洋歴史・時代小説の道を切り拓いたのである。まさに『海狼伝』は、エポックな作品であったのだ。
本書『海王伝』は、その『海狼伝』の続篇である。「週刊文春」一九八九年五月十八日号から九〇年三月二十二日号にかけて連載され、九〇年七月に文藝春秋より単行本が刊行された。前作のラスト、戦いの中で散った能島小金吾の遺志を継ぎ、黄金丸で明国に旅立った笛太郎たち。本書はそれを受けて物語の幕が上がるのかと思えば、あにはからんや。紀伊半島の山奥で暮らす龍神牛之助というニュー・キャラクターが、じっくりと紹介される。生き物の心が分かるため、猟師の邪魔を何度もして、ついには村八分になった牛之助。このままでは死んでしまうと考えた彼は、村を捨て、筏師に弟子入りする。さらに海に行った際、仲間に誘われて筏船に乗るが、これが難破。仲間は死に、牛之助だけが黄金丸に助けられ、海賊の一員となった。
ここからストーリーは笛太郎に移る。実は黄金丸も進路を見失って流されていた。なりゆきで種子島から琉球へと船旅を続けることになる。さまざまな国と勢力が入り混じる海で、時に激しい戦いを繰り広げる黄金丸。さらに琉球で奴隷船から逃げてきたシャム人のプラヤーを助けたことから、シャム国に行く。そこで彼らは、シャム国の内紛にかかわり、皇太子をバンコクを根城とする海賊の馬格芝のもとまで届けることになる。しかし、馬格芝と息子の剣英は、笛太郎と深い因縁を持っていた。そして起きた騒動が、笛太郎を宿命の戦いへと向かわせるのである。
いきなり紀伊半島の山奥から始まった物語に最初は戸惑ったが、読んでいるうちに、まったく気にならなくなった。面白い。とにかく面白いのだ。生き物と心を通わす優しき若者・龍神牛之助が黄金丸に乗り込むまでの経緯が、すでにひとつの興趣に満ちた物語となっているのである。能島小金吾の遺志を継ぐといいながら、無軌道に船旅を続ける笛太郎たちの若さが愉快であり、馬格芝・剣英との因縁を絡めてクライマックスへ驀進していくストーリーの運びも見事である。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。