インタビューほか

対談 杉原美津子×入江杏
喪失から甦生へ――「新宿西口バス放火事件」と「世田谷一家殺害事件」を語り合う

「本の話」編集部

『炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』 (杉原美津子 著)

無差別殺人の原点「新宿西口バス放火事件」で全身80%の熱傷を負った杉原さん。今なお未解決の「世田谷一家殺害事件」で妹一家4人を失った入江さん。あまりに過酷な運命を、それぞれどう生き抜いてきたのか。

隠すことは守ることではない

杉原美津子(Mitsuko Sugihara)1944年生まれ。1980年8月19日、「新宿西口バス放火事件」に遭い、全身80パーセント以上の熱傷を負うも奇跡的に生還。6人が死亡した無差別犯罪の原点ともいえる事件だが、杉原氏は「犯人だけが悪いのか」と問い、加害者Mと接見。手記『生きてみたい、もう一度』(文藝春秋)はベストセラーになり、映画化もされた。その後もノンフィクション作家として活動し、レビー小体型認知症の夫を看取る。治療時の輸血がもとでC型肝炎になり、2009年、肝臓がんで余命半年の宣告。過酷な運命を問い直す本作『炎を越えて――新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡』を執筆し始めた。2014年2月、NHKスペシャル「聞いてほしい 心の叫びを~バス放火事件 被害者の34年~」に出演し、大きな反響を呼ぶ。

杉原 入江さんは、亡くなった妹さんと仲がよかったの?

入江 ええ。2歳違いで、大家族のように仲良く暮らしていたんです。二世帯住宅を棟つづきで建てて、母が私の一家3人と同居して、隣が妹一家4人。婿入りしたわけでもないのに珍しいとよく言われました。私がそれを発案したので、あの理不尽な事件に遭ったのも私の縁だったように思えて、自分を責めました。

杉原 事件後、入江さん一家は引っ越しされたそうですね。被害者がマスコミや世間の目を気にして逃げなくてはいけないなんて、残酷だと思う。

入江 でも、世田谷を離れてリセットしたかったんです。捜査協力のため事件現場はそのままだし、第一発見者となってしまった母の心身の健康を取り戻したいと思って。事件後、母は病気ばかりで、最後は失明して亡くなりました。まるで、見てはならないものを見たからのように。母だけが4人の亡骸を見て、腕に抱えて……。

 母は死ぬまで一切、事件について言葉にしなかった。でもそれが心の安寧を損ねていたように思うんです。

杉原 私の母も事件を隠したがりました。火傷の跡が醜いから「隠しなさい」と言われてみじめで涙が出た。私、母を神様のように思って育ったの。18歳までテレビも見ないし喫茶店にも入ったことがない、なんにも知らないお嬢さんとして育てられたのね。

 そんな奥手なはずの娘が、手記『生きてみたい、もう一度』で「犯人を憎んでいない」とか、事件当時に不倫していて炎の中で一瞬「今なら死ねる」と思って躊躇した、とか書いたものだから、母には青天の霹靂。「私は悔しい!」と電話してきました。でも私を理解しようとし続けてくれた。後に『老いたる父と』で両親の熟年離婚を書いた時は「あなたのことを誇りに思う」と言ってくれました。

入江 私は出版を隠し通しました。私も母を絶対視して育ったところがあって、もっと現実家だった妹から「お母さんは聖女じゃないよ。お姉ちゃまがそうありたいという理想を投影しているのよ」と言われたんです。妹の下の子、礼くんの発達障害を母は受け入れなかった。事件のことで私の子が後ろ指さされると心配していた。そんな母に対して、私、ほんとうは心の中で怒っていたんですね。母が亡くなって初めてその怒りを自覚して、私は母と違う生き方をするんだ、と思いました。

 でも、母は私の怒りに気づいていたかもしれない。たった一人残った娘にそんなふうに思われて辛かったでしょうね、もっと話を聞けばよかった。杉原さんはどうやって、すべてをさらけ出して書く覚悟ができたんですか?

杉原 全身火傷で、私は人におんぶされないと生きていけない人間になった。その上、感じること、考えることまで抑え込む窮屈さに我慢がならなかったからですね。夫となった荘六も「隠すな、すべて書けばいい」と支えてくれました。恥じることは何もない、と。荘六がわざわざ贅沢をして、赤坂プリンスホテルのプールに連れ出してくれたことがあるんです。水着になると傷痕をじろじろ見る人もいたけれど、ひとりの味方がいれば平気だし、水の中はとても気持ちよかった。

入江 そういう、かけがえのない時間の積み重ねで、生きる力を取り戻せるんですよね。私も夫に支えられてきたので、事件から10年後に夫を急な病気で亡くしたとき本当に悲しかった。妹一家の時のように怒りが先にたたないから辛いんですね。悲しみにはいろんな形があることを改めて知りました。

 杉原さんはこの本のなかでも「隠すことは守ることではない」と書かれていますが、本当にそうだと思います。今は新聞に被災者の亡骸も載らないけど、そんな消毒されたものばかりだと、なにが残酷かもわからないのではないかしら。

杉原 隠すと、それは恥ずかしいこと、あってはならないことに変わります。何が悲しみかは人によって違うのに、勝手に忖度されるのはイヤなんです。トラウマになるというけれど、その言葉がトラウマをつくりだすと思う。

入江 そうですね。先日、渡辺和子さん(ノートルダム清心学園理事長)のインタビューを聞いたんです。渡辺さんは9歳の時、二・二六事件で陸軍軍人のお父さまを目の前で惨殺されたのに「私が父の最期をみとることができて誇りに思う」と。「トラウマにはなりませんでしたね。そういう言葉はその頃ありませんから。今の人のほうがPTSDになったり繊細かもしれません」と言われていました。言葉が感情を固定してしまう側面もあるかもしれません。

杉原 隠したり、忘れることで、幸せになれる人はそれでいいんです。やり方は人それぞれ違うのだから。でも、隠しなさい、忘れなさいと強制しないでほしいのね。だって、この傷の痛みも醜さも、生涯消えるものではないから。私には自分と向き合うしか方法がなかった。それで書き続けてきたんです。

【次ページ】炎を越えさせた兄の写真

杉原さんの手記を原作とした映画作品

DVD「生きてみたいもう一度 新宿バス放火事件」
監督:恩地日出夫
主演:桃井かおり
http://www.dig-mov.com/#!ikitemitai/cyvh

炎を越えて 新宿西口バス放火事件後三十四年の軌跡
杉原美津子・著

定価:本体1,400円+税 発売日:2014年07月10日

詳しい内容はこちら


 こちらもおすすめ
書評裁判員裁判を真正面から描ききる(2013.04.29)
書評死刑と裁判員と村上春樹(2009.07.20)
インタビューほかリアルな「裁判員制度」ミステリー(2009.05.20)
書評異能の法律家による「告発書」(2009.01.20)