- 2010.02.20
- 書評
誰がカオス理論を破れるか
文:川島 博之 (東京大学大学院准教授)
『科学は大災害を予測できるか』 (フロリン・ディアク 著/村井章子 訳)
ジャンル :
#ノンフィクション
本書の後半に述べられている金融危機の予測については、評者はその予測手法に違和感を抱いている。なぜ、違和感を抱くのかと聞かれれば、それは、現象の構造を明らかにした後に予測を行うとする、科学的な態度が貫かれていないためである。本書でも最終章で、カタストロフ理論による株価予測の問題点が指摘されているが、評者はこの手の研究には、常にいかがわしさを感じていた。
金融危機ではその根本に人間が関与しているため、危機を生じさせる原因は様々である。それにもかかわらず、株価など時系列データに対してだけ、カタストロフ理論を応用して予測を試みても、それは予測の本道を外れている。そもそも、過去の株価の動きは、将来における変化のトレンドを担保するものではないからだ。まったく新しい要素(新技術の開発、事件、事故など)が起こり、そもそもの系が崩れ、株価は思いもよらぬ動きをする。カタストロフ理論も、本来は、過去の変化を説明するための理論だった。それを予測にも使えるかもしれないと考え、学界は一時、フィーバーするが、結局のところ、非連続な変化を予測することにはまったく役にたたないということが証明されたことは本書が指摘するとおりである。
予測は、現象の構造を理解してから後に行う仕事であり、構造の理解なくして、時系列データを解析しても空しいだけということだ。金融危機の予測では、それを生じさせる社会構造についての研究(例えば、サブプライム・ローンの仕組みによるリスク意識の分散化についての研究など)が欠かせない。
本書には科学と予算獲得の関係にも触れられているが、予測が人々の関心を呼びやすいものであるだけに、それが大きな研究費を獲得する手段になり、研究組織が大きくなると、組織が自己運動を始めるとした指摘は、評者も含めて研究者には耳が痛いところであろう。このあたりの議論は、国の予算の無駄を削るためにその事業が必要かどうかを議論する「事業仕分け」で、「性能で世界一を目指す必要があるのか、二位ではダメか」と話題になった、次世代スーパーコンピューター予算を考える際にも参考になる。
いずれにしろ、科学が未来を予測するために生まれたとすれば、予測できないとするカオス理論に立ち向かう様々な分野の研究をきわめてスリリングに紹介している好著である。
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