ずいぶん月日が経ってしまった。
単行本『MITSUYA――エイズ治療薬を発見した男』(旬報社)が刊行(一九九九年)されてから十六年ほどが経つ。その間、単行本は絶版になり、ネット上の中古本市場ではプレミアムがつけられ、「なかなか手に入らない」との苦情を頂いていた。手軽に読んで頂くためにも、今回の文庫化は大変喜ばしいことである。
文庫化に時間がかかったのと同時に、実は単行本を出版するまでにも多大な時間がかかっている。満屋への最初のインタビューが一九八七年だったので、単行本が出版されるまでに十二年もの歳月が流れた。取材・執筆の途中で、AZTの特許の訴訟がはじまってしまったため、裁判が終わるまで出版できなかったからだ。振り返ると、満屋との初対面から文庫本がでるまでに二十八年もの月日が過ぎたことになる。
けれども、満屋が歩んできた研究の足跡は、何年経っても色があせることはない。一人の科学者がエイズに効く薬を探しだした軌跡を、できるだけ多くの方に知って頂きたいと真に願う。それ以上に、多くの感染者・患者が治療薬のおかげで延命できていることは大変嬉しいことである。
残念なことはエイズがいま、特に日本社会では忘れられた病気になっていることだ。メディアが頻繁にとりあげなくなったことが一因にある。二〇一五年夏時点で、世界にはエイズウイルスの感染者・患者が三千五百万人以上もいる。日本では近年、年間約千人の新しい感染者がでている。アメリカでは毎年約五万人である。
さらにWHO(世界保健機構)の統計によると、一三年に世界中で約百五十万人の患者がエイズで死亡している。百五十万人という数字は福岡県福岡市の人口とほぼ同じである。ピーク時と比較すると減っているが、「いまだに」という表現を使うべき数であり、エイズとの戦いはまだ終わっていない。
満屋のウイルスとの戦いも依然として続いている。ここからは本文で述べていない満屋裕明のその後を少し記したいと思う。
終章の最後に、カナダでのAZT訴訟で満屋側が勝ったと書いた。だが後にバローズ・ウェルカム社(現グラクソ・スミスクライン社)は判決を不服として控訴。カナダの特許訴訟でも勝利をおさめ、カナダの特許発明者の欄からも満屋裕明という名前は消えた。
「司法というのは、不当判決がしばしばまかり通ってしまいます」
特許問題を語る時、満屋の表情に悲憤は浮いていない。裁判に再び負けても淡々としている。
二〇一五年になっても研究以外に無駄な時間と労力を使わない満屋の姿勢は変わらない。まえがきで記したノーベル賞の候補といった雑音も意に介さない。それよりも一人でも多くの患者が救われることに意識が向けられている。
悲憤ということでは、バローズ・ウェルカム社がAZTを売りだした当初、記録的な価格の高さに満屋は怒りを覚えていた。自身が効果を発見した薬であるにもかかわらず、AZTがあまりにも高価だったため、すべての患者の手に届かなかった。
「AZTを飲まなかったことで何百、何千という患者さんが死んだのです」
「長生きのくすり」を開発しても、以前からの願いはかなわなかったのだ。
「そういう時に研究者が取り得る道というのは、第二、第三の薬を開発することなんです。研究を通じて戦うことだけ。それ以外、製薬会社に報復する手はない」
多くの治療薬が認可され、市場にでまわれば競争の原理から価格はさがる。ddIとddCの登場は満屋の望んだとおりの結果をもたらした。AZTの価格がさがったのだ。それでも、その二薬が登場するまでの数年間、バローズ・ウェルカム社はエイズ治療薬を独占した。当時、AZTを飲んだ感染者のなかには今でも元気に暮らしている人がいるだけに、薬が高価で買えなかったという理由で亡くなられた方を思うと無念である。
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