コンピュータおたくたちの物語
六人のおたくvs.大企業
この『ブルータワー』と並行して雑誌「別册文藝春秋」に連載されたのが、『アキハバラ@DEEP』である。前者は現代から未来を見たが、後者は未来から現代の“アキハバラ戦争”を振り返る。
小説の題名は、物語の主人公である二十代のコンピュータおたくの三人、ページとタイコとボックスが秋葉原に作った会社名である。三人は企業のホームページの更新、企業PR、アニメや映画のおまけのDVD‐ROMのオーサリングなどの仕事をしているが、新しいeビジネスを開拓したいと思っていた。いちおうコスプレ喫茶の“闘士”アキラを誘ってアイドル・サイトを立ち上げる予定だが、それだけではビジネスにならない。
そこで会社の代表のページは、ユイという女性にメールで相談する。彼女は人生相談のサイトをもっていて、実はそこでページたち三人が知り合ったのだ。ユイは、プログラマーと元ひきこもりを加えることを提案する。こうして新たに、プログラマーのイズムと元ひきこもりのダルマが加わり、新しいサーチエンジン「クルーク」の開発をはじめるが、大企業がそれを黙ってみているわけはなく、汚い手を使って忍び寄ってくる……。
なによりも目をひくのは秋葉原、いや従来の家電製品のデパート的な電気街とは異なる、まったく新しいコンピュータおたくたちのメッカとしてのアキハバラの現実だろう。
先端的なコンピュータ、違法・合法のソフトウェアが氾濫し、ジャンク品のパソコンはキログラムいくらの目方売りされるようなアキハバラが様々なディテールを通して描かれる。
石田衣良というと『池袋ウエストゲートパーク』の印象が強くて、池袋の小説が多いように思えるが、川端康成の『眠れる美女』を裏返しにした秀作『娼年』はおもに赤坂周辺だし、『4TEEN』はもんじゃ焼き屋と木造の長屋と高層マンションが並ぶ月島だし、『ブルータワー』は現代と二百年後の新宿である。それも単に背景をかりているのではなく、街が人物たちの内面を形作っている。
『池袋ウエストゲートパーク』の文庫解説でもふれたが、街は物語の主人公たちを育み、包み込み、彼らの精神と響きあわなくてはいけない。石田衣良の小説では街と人物は一体であり、書き割りではない。
アキハバラが選ばれたのは、もちろんコンピュータおたくたちの物語であるからだが、“平和な日本に生まれ、ゲームとコンピュータを相手に成長した青年たちは、極端に痛みと暴力に”弱いことも大きいだろう。つまり危険な匂いの少ない街が必要だったのである。
さて、物語は、そんなネットおたくたちと大企業との戦いである。サーチエンジン「クルーク」が大企業に奪われ、それを奪還しようとする物語だ。
基本的には、志を同じくする若者グループが力をあわせて敵に戦いを挑むというのだから、『池袋ウエストゲートパーク』のシリーズと同じといえるかもしれない。ただ違うのは、本書のほうが時代の空気を濃密に捉えていることだ。というのも、『池袋ウエストゲートパーク』ではマコトや池袋ギャングボーイズなどは時代の歪みを体現していない。歪みは、マコトが出会う依頼人や事件の関係者たちにあらわれる。
しかし『アキハバラ@DEEP』の主人公たちはみな時代の申し子である。早い話が(さきほどもふれたように)おたくだ。コンピュータのグラフィックデザイン専門のボックスは不潔恐怖症で女性恐怖症。“女は二次元に限る”が口癖で、いつも手袋を三枚重ねている。ゲームやホームページの効果音と音楽を作っているデスクトップミュージック専門のタイコは小柄で小太り、光や音の周期的な点滅などで原因不明の発作がおきる。テキストデータを専門に作り上げるページは言葉をたくさん知っているが、重度の吃音者で、いつもパソコンに自分の言葉を打ち込んで人と会話をする。
そんな彼ら三人に、アキラ(格闘技をやる胸の大きな女性)、イズム(生まれつきのアルビノの十六歳の少年)、ダルマ(長身でやぎひげの三十男。ひきこもり転じて“出っ放し”)という三人が加わり、六人で、「クルーク」が収まっている大企業の七階をめざすことになる。ある種の強奪小説(ケイパー)の趣向すらあって読者を退屈させない。
しかし作者の狙いは、そんなサスペンスでも、語り手をつとめる未来の子供たち(これがちょっと変わっている)が父たちと母がおこした“戦争”を語るというファンタジー形式でもない。最初に書いたが、9・11なのである。
アキハバラ@DEEP
発売日:2006年09月20日
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