時代は、武家に、確固たる居場所を用意してくれません。それぞれが武家とはいかなる存在なのかを突き詰めて、日々を編んでゆかなければなりません。そのもがく姿に、人の地肌が浮かび上がります。そして、その姿は、じっと動かぬ、いまという時代と格闘する、私たちの姿とも重なるのです。
ひとことで言うのなら、私が書いている時代小説というのは、そういう物語です。
時代小説を書き始めたときから、それを意識していたかと問われれば、私は意識していたと答えます。ですが、いまのように、クリアになっていたわけではありません。
天明期(一七八一~一七八九)の「白樫の樹の下で」を書き、寛政期(一七八九~一八〇一)の「かけおちる」を書き、安永期(一七七二~一七八一)の「流水浮木」を書き、そして宝暦期(一七五一~一七六四)の「鬼はもとより」を書いていく過程で、定まっていきました。短編集の「約定」では文化期(一八〇四~一八一八)まで広げて、この方向性の可能性を探ってもいます。
そういうことですので、節目としては、二作目の、この「かけおちる」が大きいのかもしれません。天明につづいて寛政を扱ったことで、ああ、きっと自分は、もういいと得心するまで、十八世紀後半の江戸と付き合っていくのだろうと思いました。
そのとき、ちょっとしんどくなるなとも感じました。なにしろ、年表的にはほとんど動きのない時代です。これといった事件があるわけではありません。すべからくドラマには落差が不可欠なので、素材選びが難航して当り前になるのです。
建築家のミース・ファン・デル・ローエも信奉したという、“神は細部に宿る”という至言を信じて、資料の山を当たり、落差が凝縮されている、細部に本質が宿っている素材を探しまくることになります。微小な球のなかに、宇宙が詰まっているような素材です。もちろん、そんな素材は滅多に見つかるものではありません。以来、日々のあらかたは、素材探しに呻吟して費やされています。でも、なんとか踏ん張って、もう降参というところまで、このやり方をつづけていくつもりです。
どうぞ、よろしく、お願い申し上げます。
二〇一五年一月
(「後書き」より)
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