もし過去を自由に旅して、好きな時代、好きな場所を訪れることができるとしたら、たとえば一九〇〇年のパリはぜひ行ってみたい行き先のひとつである。
万国博覧会が未曾有のスケールで、にぎにぎしく開催されている。会場としてグラン・パレ、プティ・パレが建てられ、巨大な観覧車がまわり、「動く歩道」が人々を驚かせている。日本館も黒山の人だかりで、女優・川上貞奴の魅力に、つめかけた観客――そのなかには彫刻家ロダンの姿もある――はすっかり心を奪われている。会場を歩けば、留学中のロンドンから見物にきて、あたりをきょろきょろ見まわしている夏目金之助(のちの漱石)に出くわすかもしれない。そして全体の様子を、発明から間もないシネマトグラフで撮影している最中のリュミエール兄弟にだって会えるかもしれない。
フランスが、そしてヨーロッパが決定的に「現代」へと足を踏み出そうとしたその輝かしい瞬間に立ち会えるとしたら、さぞや心躍ることだろう。同時に、パリの街にはまだまだ、昔ながらの暮らしの雰囲気が色濃く残っているはずだ。自動車はもう発明されていたとはいえ、一般的ではない。まだ馬車が行きかっていたころのパリの空気を胸に吸い込んでみたいものだ。
本書は、外務省から書記官としてパリに派遣された明治の青年、ザマ・コウヤを主人公とする物語である。まず彼は、語学から身につけなければならない。「そのため、暗黙の了解として、モンマルトル界隈のキャバレーへの出入りが許されていた」というのが嬉しいではないか。実際、維新後に国の将来を背負ってヨーロッパに派遣された者たちには豪傑が多く、まじめ一筋の漱石はともかく、いまの留学生や海外勤務組よりずっと派手に遊んでいた例も散見する。そうやって遊んでこそ身につく真の教養もあったのだろう。
ザマ・コウヤの場合は、まだフランス語会話もおぼつかないうちにダンスホールの踊り子カミーユと仲良くなっていく。サムライに強い興味をもち、「刀は血を吸うためにあるのでしょ?」などとあぶない質問をする女である。何しろお互いにとってエキゾティックな魅力のかたまりのような二人のこと、たちまち距離は接近し、仲は深まっていく。コウヤが日本に残してきた幼い許嫁のことを忘れがちになるとしても、仕方がないのかもしれない。しかしまた、トリニテ教会裏手――ムーランルージュまで歩いて十分ほどの、当時は玄人筋の女性の姿が多く見られたであろう界隈だ――に住むカミーユのアパルトマンを訪ねると、部屋には何やら、重く生臭い、鉛か鉄のような匂いが漂っているのである。やがてコウヤは、カミーユと「血」の儀式を取り交わし、彼の人生には想像だにしなかったような変化が生じることになる。文明の最先端を示す花の都のただなかで、コウヤはヨーロッパの古層に根ざし、時代を超えて生き続ける呪われた者たち、ヴァンパイアの末裔と出会ってしまったのだ。