- 2016.05.20
- インタビュー・対談
ピケティブームの真実とは? 18世紀のルソーから始まった「不平等との闘い」を総ざらいする
「本の話」編集部
『不平等との闘い ルソーからピケティまで』 (稲葉振一郎 著)
ジャンル :
#ノンフィクション
「ピケティが示した不平等の歴史的な展開を、さらに歴史的に俯瞰する。格差論の未来のために!」トマ・ピケティ『21世紀の資本』共訳者の山形浩生氏 推薦! ブームの背景にある壮大な経済学者たちの「闘い」を、『経済学という教養』で知られる稲葉振一郎さんがまとめた。
――まず、ピケティはどうしてあれほどブームになったのでしょうか?
彼は20年前から「将来恐るべし」と言われていた数理経済学者で、10年前に実証分析に転換し、大出世した、というイメージです。つまり下地はあったわけです。しかしこんなに売れるとは思わなかった。翻訳が早く出たのはよかったですね。冗談半分で勝手に「どうせならこれは山形浩生さんに訳させれば早く出るのに」と言ってたらほんとに山形訳になって驚いた。
目新しさという点では、「資本」という言葉に目をつけたのはいいですよね。アメリカ大統領選でサンダース候補が社会民主主義を標榜して票を獲得するなど、時代は大きく変わってきているのではないでしょうか。貧困から脱却するにはただ単に所得が保証されるだけではだめで、ピケティの言う「資本」つまりは財産が形成されないとだめなのです。むろんそこに教育、「人的資本」も入るのですが、物的資本もまだまだ重要だ、というのが優れた問題提起でした。
――近年は「成長主義より貧困対策を!」という声もあります。
それは難しい話ですよね。もちろん「貧困」という言葉は直観に訴えるものはある。でもそれはいったい何なのか、というと案外難しい。
ヨーロッパの社会学界では「貧困」に加えて「社会的排除」(社会的ネットワークから排除されること)を重視するようになりました。現代社会ではケータイがないと職も探せないでしょう? それは普通に考えれば飢えて死ぬわけではないですから「絶対的貧困」ではなく「相対的貧困」になります。でもそんな風にまとめちゃうとその深刻さが見えなくなりますよね? 「社会的排除」とはこの辺を捕まえるための言葉ですね。それにしても貧困というものは、まだうまい理論化が出来ていないですね。実のところ我々は「貧困」というものの満足な定義がまだできていません。
しかしどう定義するにせよ、貧困対策には財源が必要です。そのためには成長が必要。成長のためには不平等もやむを得ないとする経済学者もいます。格差と成長の関係はいまだに分からないことが多いんです。
――「成長と格差」は本書の重要なテーマですね。
途上国では食べ物にも困るような「絶対的貧困」状態がありますから、先進国の経済学者たちの関心も、国内問題から途上国へと移ってしまいました。一方で、低成長時代に陥った21世紀の先進国では、国内の「相対的貧困」が問題なわけです。だからといってそれが途上国の「絶対的貧困」に比べて「まし」なのかというと実はそう単純なことは言えない。
個人的には直感的に「実は成長していなければ、社会全体としては貧困に陥らざるを得ないのではないか」と考えています。これは先進国と途上国とを問わず、です。ただまだうまく理論化できていません。
日本は一億総中流と呼ばれる均質化社会でした。アメリカや西欧はスラムや移民と関係が深いですから、不平等の研究はずっと続いていましたが、日本ではしばらく「今も無いし将来も出ないよ」と忘れられていた感じがします。そういう時代もあった、ということをお伝えしたい、という思いもありました。だからこそ、この260年間の「不平等と経済思想の闘い」を振り返ることが重要だと思います。
――「歴史に注目すべき」という問題意識が貫かれていますね。
不平等を考える際にも、その背景にある「学史」を学ぶことが必要だと思うんです。社会学の場合は○○先生の理論、といったような属人的な色彩がまだまだ強く、「社会学史」は思想史偏重になってしまう。ブルデュー以降の社会学界ではそういう「思想」的巨人が途絶えてしまって、そのことによって歴史的方向感覚がちょっと失調している気がします。そこから普通の科学になる途上なんでしょうか。
それに対して経済学には「思想史」とは区別される「学史」が明確にあり、リファインして活用すれば道筋が見える気がしたのです。そこで、土地の私的所有を認めたことで市民が「不平等」の感覚を持ち始める元祖となったルソーと、経済成長による底上げ効果を唱えたスミスをベンチマークとして、18世紀から21世紀を概観することにしたのです。
――社会学部の先生が、経済学史に挑戦したきっかけは何ですか。
正直申し上げて、当初は「ピケティ本を書くのはお門違いではないか」と思っていました。東大の大学院でマルクス派の労働経済学をやっていましたが、就職してから方向転換して社会倫理学の道に進んでいたので。まあ、編集者に頼まれたので「ブームに乗ってみようかな」という気持ちもあって(笑)。でも結果的には、溜め込んできた知識の引き出しを開けて整理でき、一連の背景を他の本とは違う文脈で語ることができてよかったと思っています。前向きにポジティブな提言をしているわけではないのですが、語る基本軸は出来ていましたし、自分が学んでいた頃の日本の経済学会では大きな変動があったもので……。
――日本の経済学界には問題があったのでしょうか。
国内的な事情が絡んでいます。戦中はマルクス研究が出来ませんから、アダム・スミスが一生懸命読まれていたんです。スミスに迂回して日本における近代を考えていたといいますか。スミスを理解するには社会契約論、自然法も知る必要がある。スミス、リカードウ、ミルなどの経済学史の研究が盛んでした。ただ、次第に現状分析と思想史の乖離が激しくなっていきます。良くも悪くも思想史研究が歴史研究として自立して、現状分析のための準備段階、序奏という意味を失っていくのです。
――確かに、本書で言う「不平等ルネサンス」は新鮮です。
私が「不平等ルネサンス」と呼んでいる1990~2000年代の不平等研究は、日本ではあまり紹介されていないですね。経済学に限らず日本の社会科学は輸入学問の色彩が強かったのですが、この時代はそれを脱して自立していく時期です。同時にそれはたまたまバブルと、「日本ブーム」とも重なっていました。しかしそれには悪い面もあって、日本では興味を持たれないけれど、他の国、世界では盛んに研究されている問題への感度が、輸入学問時代よりも低くなってしまったのです。さすがに90年代後半からははっきり潮目が変わりますが、70年代から80年代、バブル期はまさにそういう時代で、「一億総中流」の日本において貧困や不平等への関心が低くなってしまいました。途切れてしまった「不平等に対峙した学問的遺産」の再発掘をしたいという気持ちはありました。
――最後に、今後の「不平等との闘い」についてどう考えますか?
ピケティの問題意識は「不平等と再分配」で若いころから変わっていません。ですが、最初は理論家だったけれど、これ以上新古典派経済学の理論モデルを突き詰めてもだめだと考え、実証研究へ行ったのでしょう。歴史に向かったことには、彼の個人的資質や、フランスの知的風土とも関係あるかもしれませんが。
繰り返しになりますが、歴史的なコンテクストを見失うのは良くないと思うんです。理論が経済学の王様である、という考え方は崩れてきています。理論は所詮道具です。道具をどう使うかという実証研究が重要になってきたのです。
――読者にメッセージをお願いします。
大学を出てしばらく働いて、勉強のありがたみが分かった人たちに読んでいただけたらと思っています。10年後に読んでも古びない内容にしたい、と思って作りました。タイトルに興味を持っていただいた方には損はさせません(笑)。
不平等との闘い
発売日:2016年05月27日
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