14万5000部を突破した経済学者の井上智洋さんによる『人工知能と経済の未来』(文春新書)から6年、「人工知能」の次に到来する「メタバース」社会について、変容する資本主義像とともに未来を素描する大胆かつスリリングな一冊が刊行になりました。デフレマインドを脱却し、日本経済の閉塞感を突破するカギはメタバースにある! その詳細はぜひ本書を手にとってお読みください。
人類は今から20年以内に、目覚めている多くの時間をコンピュータ上の仮想空間で過ごすようになる。私は本気でそう考えています。その仮想空間というのは、3 Dグラフィックスの自然や街があり、その中を自分の分身である「アバター」が歩き回れるものです。そこでは他の人が操るアバターとお話をすることもできるでしょう。
こういった仮想空間は、最近「メタバース」と呼ばれるようになりました。要するに、 メタバースというのは、 「コミュニケーションできる仮想空間」です。
2021年、細田守監督の『竜とそばかすの姫』というアニメーションが大ヒットしました。田舎の一介の女子高校生が、バーチャル空間〈U〉の中で大人気アーティストになっているという筋書きですが、このバーチャル空間〈U〉はまさしくメタバースです。
あるいは「あつまれ どうぶつの森」という任天堂のゲームの中で他の人とコミュニケーションしたり、取引したりした経験のある人も多いでしょう。 バースかどうかは議論の分かれるところですが、 「これはメタバースだ」 「これはメタバースではない」と厳密に区別することにはあまり意味がなく、程度問題と考えるべきです。すなわち、仮想空間のリアリティや社会活動の自由度が増せば増すほど、メタバース的だと言えるわけです。
メタバースは、今すぐにではないにしても、いずれは世の中を大きく変えるものになるでしょう。しかし、一日の大半を仮想空間で過ごすようになるなんてありえない、と思う人も多いはずです。
つい 15年ほど前まで、人々は電車の中で紙の本や雑誌、新聞を読んでいました。『銀河英雄伝説』という 今から 1 6 0 0年も後の時代を描いた小説には、人類は文字を記すのに紙以上のものを発明できなかったといったフレーズがあります。宇宙戦争盛んな遠い未来でも変わらず紙が大活躍しているというのです。私もきっとそうだろうと思っていました。
ところが実際には、2010年くらいから瞬く間に人々は紙の束を捨て去って、スマートフォンという小型の装置で文字を読むようになりました。これでも日本は遅れた国であって、エストニアでは、紙はトイレでしか使われないというくらいにペーパーレス化が進んでいます。そんな劇的な変化はほとんどの人が予想できませんでした。
だから、今は思いもよらないという人が大半でも、これから短期間のうちに我も我もと 雪崩を打って仮想空間へ移り住むようなことがあってもおかしくはないのです。 今や、高校生のインターネット利用時間は、一日平均5時間半にも達しています。若い世代であればあるほど、スマホを片手にSNSに常時接続している現状があります。このSNSの発展の先にメタバースがあると捉えると、今後メタバースが普及していくのは間違いないように思われます。
あるいはコロナ危機下の生活を思い返すと、一日中家にいて、パソコンやスマホなどの画面を見ているだけの時間を過ごした人も少なくなかった。一日の労働時間のほとんどをパソコンの前で過ごす人も多いでしょう。
人によっては、仕事が終わったあともネットサーフィンをしたりYouTube の動画を見 たりして、ずっと液晶画面から目を離さない生活を送っているかもしれません。もちろんこういった生活は、コロナ危機によって強いられた側面もありますが、Zoomなどのオンライン会議は、もはや日常的な営みの一つになったとも言えます。
このオンライン会議の延長上でメタバースを捉えることもできそうです。すでにメタバ ース内でバーチャルオフィスが提供されている状況に照らしてみても、仕事のオンライン会議の場からメタバースが普及するという道筋も考えられます。さらにその延長上には、教育や娯楽、人々の交流などへの広がりもあるでしょう。
ただし、メタバースが普及するには、仮想空間へのアクセスが今よりもずっと簡単で気楽で洗練されたものになっていなければなりません。現状では、LINEなどでメッセージを送り合う手軽さとはほど遠いですが、そうした問題はあと 5年から 10年程度で解決されるでしょう。
あるいはまた、実空間における体験の濃密さに比べれば、仮想空間での体験はあまりに もチープだと思う人も多いはずです。私も今のところ、ある程度はそう感じているのですが、今後仮想空間でのリアリティが増していくこともまた間違いありません。
現にグラフィックスの進化スピードはかなりのもので、メタバース内の風景が、現実と 区別がつかないほどリアルになっていく未来は容易に想像されます。触覚を再現する研究も進んでいて、「データグローブ」をそれぞれ装着した遠距離恋愛中のカップルが、仮想 空間内で手つなぎデートを堪能することも技術的には可能になっています。
機械が人間の味覚や嗅覚を刺激するようになるのも遠い未来の話ではありません。ただ の水がカクテルの味に感じられるようなグラスも、ワインのテイスティングに使えるような香りを発する装置も既に存在しています。
映画『マトリックス』では、現実とまったく区別のつかない仮想空間の中で人々が暮らしているさまが描かれています。『マトリックス』のように自分が実空間で暮らしていると思っていたら、実はそこは仮想空間だったという錯覚がもたらされるような事態は実際には起こり難いでしょう。ただ、そこまでいかなくても、実空間と遜色ない体験が仮想空間内で可能になってもおかしくありません。
そんな未来をディストピア(反理想郷)というのであれば、液晶画面を日がな一日見つめて過ごす今の暮らしぶりも、昔の人から見ればディストピアと言えるかもしれません。つまり、 「そんなのはディストピアだ! けしからん」と憤る人が一定数いたとしても、 未来は避けようもなくやってくるのです。
それだけメタバースが普及していくのであれば、経済活動のかなりの部分がメタバース内で行われるようになるでしょう。だから、経済学者である私は、メタバースが変える経済の未来について考えを巡らさないわけにはいかないのです。
以前から私は、経済のあり方を激変させる技術として人工知能 (AI)に興味を持って ています。メタバースもまた、AIと対になって経済のあり方を激変させるだろうと考えています。そういう意味で本書は『人工知能と経済の未来』 (文春新書)という、 2016年に私が書いた本の続編的な位置づけになります。
ではなぜAIとメタバースが相補的な関係にあると言えるのでしょうか。AIは人間の頭脳の代替物であり、AIを組み込んだロボットとともに人間の労働に置き換わっていくと予想されます。一方でメタバースは人間が暮らしている世界 (環境)の代替物であると言えます。
遠くない未来に、人間の頭脳はAIに、身体はAIを組み込んだロボットに、世界はメタバースによってそれぞれ置き換わっていくというわけです。そして、この三つがそろえば森羅万象すべてが機械化されデジタル化されるという、ある意味恐ろしい状況がもたらされるわけです。
AIが普及しても人間の仕事は部分的には残りますし、それと同様にメタバースが普及しても、実空間での人間の営みは部分的には残るでしょう。これは技術の進展度合いにも よりますが、今の技術の延長上で考えれば、食事や睡眠、排泄、あるいは医療行為や介護など、人の身体を必要とする行為は実空間で行うしかありません。ただ、それ以外の娯楽や仕事、教育といった多くの営みは、メタバース内に場を移していくだろうと思われます。 し その時、経済活動はどのようなものになるのでしょうか? 私は、メタバース内の経済活動は、実空間とかなり性質が異なるものになるだろうと予想しています。
例えば、メタバース内でアバターに着せる洋服は1着だけデザインすれば、あとはいくらでもただでコピーできます。実空間の洋服と違って、製造するための労働者や機械設備は必要ありません。
現在の資本主義では、機械設備の設置には莫大な資金が必要で、その資金を提供する資 本家と労働力を提供する労働者が主な経済主体となっています。マルクス主義が想定するように両者が対立しているかどうかは別にして、こういう形で資本主義は形成されてきたわけです。ところが、機械設備が要らなくなれば、資本主義が消滅するわけではないものの、根底から変容してしまいます。
メタバースにおける経済の主な担い手は、資金を提供する資本家でもなく、モノを物理的に作ったり運んだりする肉体労働者でもなく、アバターやデジタルな洋服をデザインす るクリエイターです。
これまでも「AI時代にはクリエイティブ・エコノミーが到来する」といった未来予測がよく口にされてきましたが、メタバースの普及とともに、クリエイティブ・エコノミーはますます加速していくでしょう。
しかし、それはユートピアとは言えないかもしれません。誰もがクリエイターになれる わけではないし、クリエイティブな仕事をしていても十分に暮らしていけるだけの収入が得られるとは限らないからです。
では、どうしたらいいのでしょうか? その問いに答えるためにも、メタバース内の経済とはどのようなものか、メタバースの普及によって資本主義がどのように変容するかを理解する必要があります。それこそが本書のテーマです。
「はじめに」より
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