だからといって、そんな行商人がいきなり織田家で出世できるわけはない。そこには、ホップ・ステップ・ジャンプのための、何らかの転機がなければならない。まして見栄えのしない猿づら男である。下人から武士への道は険しかった筈(はず)だ。
そう思って考えたのが、この物語で展開される、信長の宴席での、ある「命がけの事件」である。「なるほど、なるほど、そうかも知れぬ」と思って納得していただけたら作者として、嬉しい限りである。
この本のタイトルとなった第二作「安土城の幽霊」は、全く新しい構想の下に書き上げた新作である。根底にあるのは、家康への、ある種のシンパシィである。
昔から、「いくら我慢強い性格とはいえ、信長に女房と長男を殺されてよく黙っていたものだね、家康さんよ」と思っていた。その思いが募って、家康にも、この位の心の葛藤と、その克服のための、なんらかの復讐行動があったのでは、という空想がふくらんだのがこの小説である。脇役だが、デビュー作『信長の棺』に登場した京・阿弥陀寺の清玉上人も久々に顔を出しているので、懐かしんでくださる方も多かろう。
この本のサブタイトルに「信長の棺」異聞録と付いているのも、このためである。
第三作「つくもなす物語」は、これも新作だが、さきの異聞録にも関係する。
事実、「名器つくもなすが焼けたのは二度か一度か」の疑問は、七年前のデビュー作『信長の棺』から、おぼろげにあったものである。本能寺に抜け穴があり、「本能寺の変」の朝方、信長秘蔵の刀や宝物が誰かの手で、持ち出された。が、抜け穴が行き止まりのため、そのまま放置された。これを追えば、それが焼けないで(ほぼ無傷で)残ったという事実から、逆に抜け穴の存在が証明できるのではないか、と思ったのである。だが、『信長の棺』の主人公に起用した太田牛一は、その作品の末尾に書いたように、秀吉の死んだ慶長三年頃から所在不明。それ以後の抜け穴の謎解きに登場させるのは無理と判り、泣く泣く諦めた。
牛一に代わって謎解きに参加したのが、この「つくもなす物語」の末尾に登場する徳川家康と本多正純。家康が大坂夏の陣の後、「つくも茄子」の行方に固執し、二度の捜索を命じたのは事実である。そして細かく割れた破片を見分したのも恐らく事実であろう。そこから、「本能寺の変」の背後になにがあったか、を探ったに違いない――、と作者は確信するのである。
『信長の棺』が登場した頃、一部の歴史家や作家から「そんな抜け穴があったわけはない」と、こっぴどく批判されたことがある。そういう方も含め、この作品を読まれた方は、是非、静嘉堂文庫美術館を訪ね、どちらの言うことが正しいかを話題としていただけたら、作家として嬉しい限りである。「事実は小説より奇なり」が現物でおわかりいただけると思うからである。
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