生まれてはじめて正絹の反物をさわったとき、ひどく懐かしく、それでいて馴染みのある記憶を呼び覚ます感触が、指の腹から全身に広がっていった。
なんだろう、この質感、肌触り――私はこの感触を、確かに知っている。
「今は洗えるから便利やいうて化繊の着物が増えてるんやけど、やはり正絹は違うんやというのが、さわってもらったらわからはるやろ」
低いが響く声で、ゆっくりと話す、呉服屋の旦那はそう言った。
正絹とは、混じりけのない絹織物のことだ。恥ずかしながら私は自分が着付けを習いに行くまで、その言葉すら知らなかった。
確かにそれまで私が着ていた練習用の化繊の着物とは全く違う。ふれた指の肌の皮膚の隙間から毛より細い絹糸が入り込んで、身体の一部となるような感覚すらある。織物でありながら潤いを持ち、それでいて柔らかく、こうして少しふれただけでも、さぞかしこの布を全身に纏えば心地よいだろうと想像せずにはいられない。
京都では老若男女問わずに着物姿の人を見かけることは珍しくはない。古い建物、寺社が多く残る街には何より和服が相応しい。観光客向けに、安く一日着物を貸して着付けもしてくれるサービスも増えた。
京都に住んで京都の女の性愛を描きながら、ぼんやりと着物に興味は持っていたけれども、お金を費やすのが怖くて、また見るからに面倒そうでと先延ばしにしてきたが、ある本を読んで、着付けを習わなければいけないと強く思った。
その本に登場する女たちは着物を纏うと艶を増す。けれどそれはありがちな、男の視線から描かれる「和服姿の女」の色気ではない。誰もが覚えのある、けれど口にはできない、禁じられたものにふれた瞬間の戸惑いをともなう色艶だ。
たとえば――。
「ひんやりとした綸子が肌の上をすべる時の、あのくすぐったくも焦れったい感触がよみがえる。千桜は思わず胴震いした。いま正座をしている脚の間、両のかかとが押しあてられているあたりに、厄介なおののきが、ぽ、と鬼火のように点る」
「五月の下旬に一旦しまって以来、久しぶりにまとう八掛付きの着物は、裏地のぶんだけずしりと重い。袖を通して肩にかけたとたん、上から押さえつけられるようなその重さに、なぜかひどく官能的なものを感じてしまった自分を麻子は訝しんだ」
女たちは、そうして着物という鍵により、禁断の扉を開け放ち、男を引き寄せる。
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村山由佳『花酔ひ』
2012.02.10特設サイト -
性愛の“神”が微笑むとき
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世界の「果て」までの旅
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『男女最終戦争』石田衣良・著
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