2004.08.20 書評

宝引の辰と仲間たち

文: 泡坂 妻夫 (作家)

『鳥居の赤兵衛――宝引の辰 捕者帳』 (泡坂妻夫 著)

 仕事場の壁に昔の江戸の地図をかけて、毎日眺めている。

 日本橋の書店、須原屋で文政十一年に板行された一枚刷りの復刻板である。

 江戸の地図は毎日見ていても飽きない。というのが、現在の地図のように実用一点張りでないからだ。たとえば、寺社のある場所には社殿や鳥居が描き込まれている。道しるべになりそうな松や杉の木も絵になっている。海の上には帆かけ船が浮かんでいる。

 そして、当時の印刷技術にもびっくりする。

 この地図はほぼ80×70センチの大きさだが、どこを見ても刷りの継ぎ目が見えない。とするとこの大きさの一枚板に彫って刷りあげたわけで、その大きさにも驚ろきだが、虫眼鏡で見なければ判らないような文字が、びっしり刷られている職人の腕は、神技としかいいようがない。

 そして江戸の地図だが、江戸の中心はもちろん江戸城である。ただし、そのころの約束通り、城内と大名屋敷は白ヌキになっている。白ヌキの部分に大名家の定紋が描かれているから、文字の読めない人にもどの大名かが判る。当時、大名の定紋は常識として江戸町人が知っていた。

 江戸の中心は江戸城で、そこには堂堂とした徳川葵の紋が描き込まれている。この江戸城はとてつもなく広く、調べてみると総面積二十二万余坪、そのほぼ半分は吹上の庭で、万古斧鉞(ふえつ)の森林である。

 城は関東平野の中央の小高い場所に築かれている。明暦の大火で焼失するまでは、江戸のどこからでも城の天守閣を望むことができた。

 城の周囲は堀割に囲まれていて、更にその内外に徳川家歴代の大名たちが屋敷を構えている。一目で外敵への守備が万全だということが判る。

 堀割は城を囲みながら大きくのの字を書いて、市街地をぐるりと巡りながら大川に落ちる。江戸の町は細かく堀が枝分かれして、どんなところにも船が出入りし、生活物資を運んだり、船遊びが楽しめる仕組みになっている。

 北に関東平野の肥沃な土地を背にする一方、南の江戸前の海もまた豊かな魚介類に恵まれている。

 江戸前の海は穏やかな湾で、上方より酒を運んで来るのにうってつけである。杉の木の樽に詰められた酒は、何日も海の上でゆらゆらと練られて丸味のある味になって運ばれて来る。江戸には税金などというものがなかったから、豊作の年の酒はびっくりするほど安かった。

 と、江戸の地図を見ながら、以上のようなことを考え、江戸の生活はなかなか快適なように思えるのである。

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鳥居の赤兵衛――宝引の辰 捕者帳
泡坂妻夫・著

定価:本体543円+税 発売日:2007年08月03日

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