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変わらぬ庶民の悩みと江戸情緒

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「本の話」編集部

『こいしり』 (畠中 恵)

出典 : #本の話
ジャンル : #歴史・時代小説

──畠中 恵さんの新刊『こいしり』が上梓(じょうし)されます。神田で八つの支配町をもつ古町名主の跡継ぎ、麻之助が活躍する『まんまこと』シリーズ第二弾です。まず舞台設定についてお聞きしたいのですが、江戸時代のなかでも麻之助たちが活躍する時代の魅力はどんなところにありますか。

畠中  麻之助たちの時代は、すでに戦乱から離れて時間がたっているので、社会が安定した町人文化が華やかだった時期にあたるんですね。そのため現代の日本と近い感覚があるように思えるんです。そこから出てくるごく普通の人々の悩みや日常行きあたる問題が現代とも通じるのではないか、と。

──なるほど。麻之助や清十郎の家がつとめる町名主は江戸の町人の日常の揉めごとの裁定役ですから、ちょうどその共通点に踏み込んでいくには、うってつけの職業ですね。

畠中  そうですね。このごろでは時代劇でも公事方(くじかた)とかいろんなバリエーションの仕事をもつ主人公が増えてきましたが、資料を調べていて、町名主は面白いな、と思って書きはじめたシリーズです。

──『まんまこと』『こいしり』は基本的に町人である麻之助の目線で書かれていますが、他作品で武家視点も取り入れられたあとで二作目をお書きになって、町人と武家の違いをどこに強く意識されましたか。

畠中  まず武家の社会と町人の世界は拠って立つところが違うと思うんですよ。例えば武家の奥さまはお金が無くて貧しいような人でも、道を歩くその様子だけで武家の方だとわかったといいます。自らのアイデンティティーがしっかりしていて、様子や佇(たたず)まいがすでに違っていたのでしょうね。逆に武家といっても、男たちはもう戦うことはないですから、それこそ官僚のような感覚で生きている。武家本来の仕事、戦いと離れて、今のお勤めサラリーマンと同じような日常を送っていたのではないでしょうか。 

登場人物が動くのを書きとめる

──麻之助、清十郎、吉五郎三人組のうち、吉五郎は唯一お武家さんですね。『まんまこと』では、割合おとなしい役割でしたが、今回意外な面を見せてくれます。

畠中  彼は同心見習いなので今でいえば警察官みたいな仕事です。三人のなかでもとにかく物堅い人物なんですが、今回は予想外の交友関係ができてしまって弱りきってしまうんです(笑)。

──両国の盛り場で遊び人のよからぬ人たちに男惚れされてしまう。愉快な展開でした。

畠中  いったい吉五郎さん、どうなってしまうんだろうって思いますよね。書き進めるうちに、江戸一繁華な両国広小路の顔役の息子・小貞さんが吉五郎さんにすっかり惚れこんでしまったんですよ。

──両国広小路というと、前作で麻之助の遊び場として触れられていましたが、ほかの繁華街と比べて、どのような街だったのでしょうか。

畠中  日本橋は商店が続いているだけですが、両国は川に沿って茶屋に食い物屋、見世物小屋に講釈場、揚弓屋というふうに盛り場になっていて、人々がお楽しみを求めて集ってくる街なんです。

 

──なるほど。いわば歌舞伎町に渋谷を足したような場所の顔役の息子になつかれるとは、堅物なら難儀ですね。意外な展開ですが……。

畠中  物語も二冊目になると、登場人物たちが自己主張し始めて、この人はこの人が好きなのね。ああ、こっちの人はそこに行きたいんだ。というようなふうに、作者が少し引いたところから人物を見るような感覚が出てきます。ストーリーも登場人物たちもだいぶ自分から動き出していくんです。

──一作目より物語世界が活き活きと自由に動きはじめる。

畠中  ええ。シリーズを書いていく時、一作目は話の展開やキャラクターについて自分でしっかり構成を考えて、書いていきます。そうして物語の世界をひとつひとつ作っていって、それが出来上がってくると、登場人物の皆さんが自分で動くのを眺めていく。私はそれについていって書きとめる感じなんです

──二冊目に入って更に“まんまこと”の世界がパワーアップしたんですね。ところで、とてもリーダブルなので、読んでいると現代と地続きのような気分で麻之助たちの世界に入っていってしまいますが、そこかしこに江戸再発見の愉しみがあります。

畠中  物語によっては、江戸の文物や気質といった細かいところから、逆に話をつくっていくこともあります。たとえば、「清十郎の問い」に登場する献残屋(けんざんや)という商売は、贈答品などでいらないものを持っていくとお金に換えてくれるんですけれど、現代ではぴったりあてはまる職業はないんです。こういう仕事が成り立つくらい江戸時代には武士の間で贈答の習慣が一般に普及していたんですね。珍しくて面白い、江戸独特の商売ではないかと思います。

──質屋とも違うし……多少近いとすると金券ショップでしょうか。

畠中 品物が買い取りOKで、尚且(なおか)つ売買は官僚が対象というふうになれば、ですね。

──そんな商売があるということは、当時の武家はお付き合いがなにかと大変だったのでしょうね。

畠中  武士はお金はないけれど、何かとお金が必要になる仕組みになっていたようです。贈り物も階級や場合に応じて品物が決まってきますし……。大変といえば、どんなに家計が苦しくても、武家の奥さまは外出するときは一人ではなく、伴を連れていなければいけないというようなこともあったようです。

──他に当時の風俗を彷彿とさせて印象的なのが、交通手段です。麻之助たちが出かけるとき、舟で移動するという記述が何度か登場しますが、今の東京と違って、舟はさほど特別な乗り物ではなかった。

畠中  古地図を見ると運河、水路、堀が張り巡らされています。駕籠(かご)が贅沢だったので、舟をよく使っていたんですね。今でいうタクシーを江戸で考えると、舟であって駕籠じゃありません。町人だと駕籠に乗ることは少なかったんじゃないでしょうか。

──江戸の日常生活で単純な疑問のわりに具体的な資料に乏しい、というような難問に当たることはありますか?

畠中  そういえば、町木戸が閉まったあとの夜鳴蕎麦(そば)が不思議でした。お蕎麦屋さんが自由に動き回れるのもそうですが、お客さんはどうやって出てくるのだろうと。いろいろ考えて、悩んだことがあります。通り抜けできるところがあったのか。資料で調べても微妙にそういうところは書いていないんです。 

町人を怒らせた無礼討ち

──―さきほどの「清十郎の問い」では、武士である旗本と町人である札差との面子(メンツ)の張り合いが話の根底にあります。旗本と、それと張り合うだけの実力をもつ札差のさや当て、面白いですね。

畠中  聞けるものなら、両者のやりとりを実際に聞いてみたいです。経済力の差が圧倒的ですから、どういう会話が成り立っていたのか興味があります。札差は旗本や御家人から、その収入である扶持米を受け取って、手数料を取って、それをお金に換えて渡します。それだけではなく将来の扶持米を担保に金を貸し付けてもいたんですよ。つまり、貸せ貸さない、返せ返せないという問答が行われていたはず。身分上はへりくだらなくてはならないのに内容はそういうことですから、おそらくは手代や番頭に相手をさせることも多かったと思いますね。

──町人が武士を殴る話も出てきますが、そういうことは実際にあったのでしょうか。

畠中  表向きはあってはならないでしょうけれど、ありうる話だと思います。ある資料を調べていて、東海道を大名行列が通っているときに、町人の子供が行列に当たってしまったんです。周りにいた人たちが小さい子供だから許してやってくれといったんですが、結局無礼討ちされてしまいました。ところが無礼討ちされた方の地元の人たちが怒り、またその藩主も怒ってしまい、以後その行列は武家の格好ではその町を通れなかったそうです。身分の差があっても、何でも通用するというわけでもなかったんですね。

──大名行列ですらそうだとすると、推して知るべし、というところではあります(笑)。さて、町名主になった清十郎、名主名代の麻之助は、相変わらずの呑気な暮らしぶりですが、お仕事のほうは大丈夫なのでしょうか。

畠中  町名主は今でいう民事事件を扱うため、日々こまごまとした仕事があって、本当は実際の資料を見てもけっこう忙しそうなんです。支配町の人間が刑事事件的な問題を起こすと、付き添いで奉行所にいったりもします。だけど、高橋、八木両家は手代がしっかりしているから大丈夫なんですよ(笑)。

──人情噺と推理小説的な謎解きが融けあうバランスの絶妙なシリーズですが、かなり綿密なプロットを考えてお書きになるのですか。

畠中  最初にきちんと決めることにしているのですが、でも、後からどんどんずれていってしまいます。キャラクターが自分の意思で動くようになるとなおのこと、落としどころを考えていてもなかなかそうはいかないですね。

──『まんまこと』で活躍の女性陣、ますます強くなりましたが、「お由有」と「お寿ず」の対比も今回よりくっきりしてまいりました。お由有はしっとりした雰囲気ながら芯が強くて一筋縄ではいかないタイプ。お寿ずはおきゃん。どちらも強い(笑)。江戸の女のある典型と考えていいんでしょうか。

畠中  はい、江戸の女性たちは強かったようです。武家では女性が一歩後ろに引いていたんでしょうけど、町人は女性の人口が少なかった流れがありますから。徳川が幕府を開いて、武士や商人、職人が連れてこられて、出稼ぎの男たちがきて、というふうに江戸に人が集ってきたわけですが、女はそこまでして新しい土地にはいきません。男女比が同等になったのは幕末近くで、結婚するときも、女性は保険として三行半(みくだりはん)を先にもらってからすることもあったそうです。

──じきに、パート三が連載開始予定と聞いております。個人的な要望で恐縮ですが、女にめっぽう強いという設定の清十郎の女難もぜひ、読みたいです。

畠中  清十郎次第です(笑)。でも、清十郎の嫁に来る女性も大変ですね。年の近い姑のお由有がいて、弟の幸太もまだ幼いですから。注目の新たな登場人物には「みけとらふに」に出てきた「おこ乃」ちゃん。次のシリーズ第三作目で活躍するかもしれません。

文春文庫
こいしり
畠中恵

定価:781円(税込)発売日:2011年11月10日

電子書籍
こいしり
畠中 恵

発売日:2019年11月27日

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