本書は畠中恵の代表作である。と書くと、代表作は「しゃばけ」シリーズだと、異議を唱える作者のファンが大勢いることだろう。二〇〇一年、第十三回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を『しゃばけ』で受賞した作者は、これをシリーズ化。大妖(たいよう)を祖母に持ち、妖(あやかし)の姿を見て話のできる、病弱な商家のひとり息子の一太郎。その一太郎を守護したり、手助けしたりする妖たち。彼らがかかわる事件や騒動を、時に愉快に、時に怖ろしく描いたシリーズは、たちまち人気を集め、大ヒット作となった。まさに「しゃばけ」シリーズこそ、代表作と呼ぶに相応(ふさわ)しい。
さらに他にも、注目すべき作品は多い。「つくもがみ」シリーズや、「明治・妖モダン」シリーズなど、「しゃばけ」シリーズとはテイストの違う、付喪神(つくもがみ)や妖の登場する物語がある。町名主の跡取り息子と、その悪友たちが、さまざまな事件や騒動に取り組む「まんまこと」シリーズもある。明治の若者たちを生き生きと躍動させた『アイスクリン強し』、男女九人の恋模様を活写した『こころげそう』、新米留守居役の奮闘記『ちょちょら』、現代ミステリー『アコギなのかリッパなのか』『百万の手』なども見逃すわけにはいかない。デビュー以来、バラエティに富んだ世界を創り上げているのである。
それでも本書を、作者の代表作だと断言できる。なぜなら二〇二二年十一月現在、畠中作品の中で唯一の歴史小説なのだから。時代小説の代表作が「しゃばけ」シリーズなら、歴史小説の代表作が『わが殿』なのである。
ところで私は、本書のタイトルを見たとき、すぐにある少女漫画を思い出した。木原敏江の『あーら わが殿!』である。もちろん、タイトルからの連想だ。周知のように作者は作家になる前、漫画家のアシスタントや漫画家をしていた。その経歴からして、少女漫画は一通り読んでおり、『あーら わが殿!』のことも知っていただろう。実際のところは分からないが、もし木原作品を意識してタイトルを付けたのなら、そこにどのような意味が込められているのか。このことは後述するとして、まずは本書の内容を見てみよう。
『わが殿』は、複数の地方紙に、二〇一七年三月から一九年四月にかけて、順次掲載された。単行本は二〇一九年十一月、文藝春秋より上下巻で刊行。なお単行本化に際して、加筆がなされている。「週刊文春」二〇一九年十二月二十六日号に掲載されたインタビューの中で、
「ずいぶん前から編集の方に『史実に基づいた小説を書いてみませんか』と提案をいただいていましたが、これというテーマになかなか出合えなくて。そんなある時、ふと資料を読んでいたら『江戸から明治への移行期に黒字だった藩はほとんどなかった』という旨の記述を目にしました。よい塩田に恵まれていた某藩は、理由がはっきりしていましたが、大野藩はたった四万石の小さな国。盆地ゆえに田畑をろくに切り拓けず、海も飛び地にしかありません。なぜ大野藩が黒字だったのか? 疑問に思い、強く興味を惹かれました」
と語っているように、初の歴史小説執筆の発端は、大野藩がなぜ黒字だったのかという疑問にあった。そこから作者が主人公に選んだのは、藩主の土井利忠ではなく、彼の命により長年にわたり財政改革に携わった内山七郎右衛門だ。知る人ぞ知る人物であり、一九九六年に刊行された、大島昌宏の『そろばん武士道』でも主役を務めている。こちらも、いい作品だ。ただし大島作品がストレートな歴史小説だったのに対して、本書はかなり癖の強い歴史小説になっている。その癖の強さこそが作者らしさの発露であり、本書の魅力になっているのだ。
物語は、十九歳の内山七郎右衛門が大小姓のお役目に就(つ)くことが決まり、江戸の大野藩上屋敷に向かう場面から始まる。江戸に着いて、一緒に出府した石川官左衛門から、主君の土井利忠が、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人の誰に似ているかと聞かれた七郎右衛門。つい信長と答えてしまう。道中でも七郎右衛門は、官左衛門に妙な質問をされていた。このとき七郎右衛門は知る由もなかったが、利忠が人物を確かめようとしていたのである。
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