
「おいおい、清十郎ってばさあ。聞いたかい」
「何をだい、麻之助」
「何やらこの本の解説を、脚本家が書くつもりらしいよ。大丈夫かねえ」
「え。脚本家と言えば、我らの時代で言えば、戯作者ではないのか!」
「けどなんたって、この脚本家ときたら、朝寝坊だし、筆不精らしいんだよ。ちょっとあたしに似てないかい。ふふふ」
「戯作者が筆不精などと、ふざけたことを!」
「まあそう怒るなよ吉五郎。二百年も時がたてば、そんなもんだろう」
「でさ、ごねたらしいよ。私はドラマで手いっぱいで、とても解説なんて書けませんって」
「しょうがないねえ。だから平成なんて世に生きている者は、信用がならないんだよ」
「本当だねえ」
「ホントだよ」
「まったくだ!」
「まあでも一応さ。書かせてみようよ。解説とやらを」
「畠中先生が怒らないといいがなあ」
「怒るわけがないだろう! 先生はお人が出来ているんだっ!」
「って、お前が怒ってどうすんだよ。吉五郎。あいてっ! 殴るなよぉ」
*
というわけで、この数カ月、寝ても覚めても「まんまこと」のことばかりを考えている脚本家でございます。
NHKの木曜時代劇で「まんまこと」シリーズをドラマ化するにあたり、どういうわけか私に、白羽の矢が立った。実は私、時代劇を書くのは二回目、しかも連ドラは初めてという、きわめて時代劇初心者。右も左も分からず、辞書、参考書、資料、図鑑などと首っ引きで、しかも分からないことは、時代考証の先生やら、原作の畠中さんにまで、しつこく質問を浴びせながら、ひいひい言って書いております。現在、全十話中の九話目執筆中。佳境です。こう書くとなんだか、臨場感あるでしょう。
とにかく、現代劇と違って、衣食住、言葉づかいから習慣まで、いちいち分からない。恥を忍んで告白すれば、町名主がどういう仕事をしているかも知らず、町人たちの揉め事を裁定しているなんて、この小説を読み、初めて知りました。そんな町名主の仕事に目をつけた畠中さん、そうして次々と、当時の江戸ならではの習慣や出来事を題材に、一話完結のミステリー仕立てで、物語を紡いでいくその手腕には、驚くばかりです。そして、お気楽な麻之助、色男清十郎、石頭の吉五郎、まっすぐなお寿ず、我慢の人お由有と、キャラクターも見事に確立されていて、台詞を書くのが楽しかったことは、冒頭の三人のやりとりを読んでいただければ、お分かりになるかと思います。
さて、「まんまこと」シリーズも今回の『ときぐすり』で、四冊目。私が担当しているドラマは、『まんまこと』『こいしり』『こいわすれ』『ときぐすり』の四冊から十篇を選ばせていただき、こちらも小説と同じように、一話完結風の物語に仕上げています。どのエピソードを選んだかは、見てのお楽しみ。とにかくドラマを見ている人がわかりやすく、登場人物に感情移入できることを念頭において、脚本化しました。
前三作、各章ごとに様々な事件が起こりますが、主人公麻之助を貫いている物語は、やはり、幼馴染お由有との淡い恋の話でしょう。麻之助十六の年に、わけあって初恋の人お由有がある男の子供を身ごもってしまいます。お由有はその相手と一緒になることができず、こともあろうに、親友清十郎の父で、麻之助の家と同じ町名主の源兵衛の後添えになってしまうのです。オーマイガー! そんな親父に、初恋の人をとられてしまうなんて。しかもお由有は、十六の麻之助に言うのです。「縁談を断ったら、麻之助が父親になってくれる?」若き麻之助は、その問いに答えられない。そうしてお由有は、お腹の子ともども源兵衛へ嫁いでしまいます。その日を境に、気まじめだった麻之助は、お気楽な若者に豹変してしまうのです。もちろん芯の部分には、気まじめさも繊細さも残っています。ですが繊細だからこそ、お気楽者という隠れ蓑に身を隠すことの生きやすさを麻之助は知ってしまったのかもしれない。……と、私は思うのです。
そして六年の月日がたち、極楽とんぼに磨きがかかった麻之助は、父の仕事を真面目に手伝うわけでもなく、悪友清十郎とつるみながら、己の人生の行き先を考えあぐねてふわふわと日々を過ごしています。初恋の人お由有は、六歳の息子幸太とともに、町名主の妻という人生を着実に生きている。なのに麻之助ときたら、まだお由有を見ると、どきどきしたりしてしまうのです(ダメなやつ)。
そこへ、麻之助の見合い相手として現れたのが、武家の娘、野崎寿ずです。いまだお由有に未練のある麻之助。ですが、お寿ずにもまた好いた相手がいたのです。病に伏し結婚を許されない水元又四郎という武士です。やがて、又四郎は亡くなり、麻之助とお寿ずは、周囲の強引な勧めにより、なかば強制的に祝言をあげることになります。そんな訳ありの結婚をした二人が、少しずつ互いの痛みや悲しみ、優しさを知り、寄り添い、ようやく“本当の夫婦”になっていくまでを描いたのが『こいしり』です。なのに! なのにです。『こいわすれ』では、ようやく子を身ごもったお寿ずが、出産時に生んだ女の子ともども、亡くなってしまうのです。ああ、なんという残酷な作者。麻之助に、こんな試練を与えるなんて!
考えてみれば、「まんまこと」シリーズは、死にまつわる話の多い物語です。小説全体が、軽妙洒脱で落語的なユーモアにくるまれているので、うっかり忘れてしまいそうになるのですが、主要な人物だけでも、お寿ずの好いた武家水元又四郎、清十郎の父で町名主の源兵衛、そして、お寿ずとその娘、お咲。その他にも沢山の死が出て来ます。実は、連続ドラマで、三人もの登場人物を殺したのは初めてです。ですが、考えてみれば、江戸時代は現代とは違い、死がすぐ隣にあった時代なのかなとも思います。病気、火事、水難事故、出産。なんせ武家は人を斬れる刀を腰にさしていたご時世です。現代なら助けられる命も、簡単に失われていった時代なのかもしれません。だからこそ、くだらない見栄の張り合いや、色恋沙汰で揉めている江戸の市井の人々が、なんとも言えず愛おしくなる。それが、「まんまこと」の世界なのかなと。
『ときぐすり』では、そんな麻之助が、お寿ずの死の悲しみから、少しずつ立ち直っていく様子が、様々な事件を通し描かれていきます。お寿ずが亡くなって一年経つというのに、麻之助は、いまだにお寿ずの幻影から逃れられずにいます。事あるごとにお寿ずに話しかけてしまうのです。そして、お寿ずの親戚で、近頃めっきりお寿ずに似て来たおこ乃ちゃんと、お寿ずを見間違えたりして。まったくもって、繊細な少年のような麻之助。第一章「朝を覚えず」は、その麻之助が、怪しい眠り薬を処方している医師の悪事を解明すべく、自らその薬を飲み臨床実験してしまう話です。なぜそんなことをしたのか。麻之助の深層心理を考えると泣けてきます。そして、珍しく麻之助は医師に対して声を荒げます。「人が人を、大事だって思う気持ちにつけ込んで、下司なことをするんじゃねえよ!」どれほど高かろうが、どれほど怪しかろうが他に打つ手がなければ、その薬だけが蜘蛛の糸、大切な人を守ってくれるだろう、奇跡の元となる。「私は、お寿ずに呑ませたと思うよ。ひょっとしたら、危ない薬かも知れないと思ってもだ。それ以外に、何一つ、やれないとしたら」と。麻之助のお寿ずへの思いが溢れる一節です。「たからづくし」は、女好きのモテ男清十郎が、初めて本気で女に惚れる話。清十郎の残した妙な書き付けと、吉祥紋との符合から、麻之助が謎を解きほぐします。そんな時も、麻之助はお寿ずに話しかけてしまうのです。「ああお寿ず、妙な日だ」と。「きんこんかん」は、堅物の同心見習い吉五郎が、なぜか女にもてる話。ま、その裏には笑ってしまうような事情が隠されているのですが。このあたりから、お寿ずの親戚のおこ乃が、麻之助のことを憎からず思っている様子がちらちらと出て来ます。「すこたん」は、小西屋と増田屋という瀬戸物問屋と茶問屋が、近所同士になった途端、どうでもいいようなことで競い合い揉める話。それに麻之助が巻き込まれ、裁定をすることになるのですが……。この頃から、麻之助は、お寿ずの名を口にしなくなります。「ともすぎ」は、高利貸し丸三が吉五郎の様子がおかしいと心配し、首をつっこんだ所に端を発し、なんと自分の手代が悪事を働いていることが発覚、ついには丸三が行方知れずとなり倉に閉じ込められ、その窮地を麻之助たちが救うという話。ここではもう、お寿ずの影は、出て来ません。
そうして最終章「ときぐすり」では、ひょんなことから麻之助が助けた、捨て子の滝助という十四歳の少年が発した「時薬」という言葉の意味の取り違えが、事件に、そして麻之助の心に希望の光を灯してくれることになるのです。作者畠中さんの主人公への優しさがあふれる結末……とだけここでは書いておきましょう。
さて、麻之助は、この後どうなるのでしょう。周囲の皆に励まされ、時に助けられながら、立ち直ることができるのでしょうか。そして、この『ときぐすり』では、ほとんど登場しなかったお由有。お由有との関係はどうなっていくのでしょう。
まだ放送もされていないうちに、こんなことを書くのもなんですが……。ドラマもまた、小説のように麻之助の人生を末永く描き続けることができれば幸いです。ま、私がクビにならなければの話ですが。
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