そしてまた本を書く過程は、自分のルーツを知る旅でもありました。晩年の一時期、ひとり暮らしをしていた母は、気仙沼の人に支えられながら生きていたのだとわかり、頭の下がる思いがしました。
母は気仙沼の「ソーシャルネットワーク」の力に支えられていたのです。気仙沼では、インターネットでつながる必要はなく、顔と顔を突き合わせ、話すことがいまもコミュニケーションの基本です。アポイントもなく、知り合いの家を訪ねていくのは不自然なことではないのです。
取材では初対面の人でも、例外なく共通の友人、知人がいました。町を歩けばすぐに声をかけられるので、取材に同行した編集者やラジオのスタッフが驚いていたほどです。きっと、この力が復興の原動力になるのではないかと、そんな予感がします。
震災前は年に一度帰ればいい方だったのに、いまでは月に一度は気仙沼に帰っています。しかし泊まるべき家はどこにもありません。地盤沈下が進んだのか、姉の家の周辺は水が湧きだし、長靴を履いていても家に近寄ることさえ出来なくなりました。木片でヘドロの深さを確かめながら進んでも、少しでも脇にそれると、長靴が沈み始めるのです。底なし沼か……と深くため息をついたことは一度や二度ではありません。
それでも、気仙沼には帰るたびに発見があります。ホテルに泊まり、朝、カーテンを開けたときの内湾の美しさ。朝の穏やかな日差しが内湾に映え、波とともにゆらめいているのです。そして岸壁からは小型船が出港し、漁に向かっていく。
高校生のときは、気仙沼にこんな美しい光景があるとは知りませんでした。いや、気づかなかったのでしょう。
難産ではありましたが、いまでは『気仙沼に消えた姉を追って』を書いたことは、自分の人生で避けようのない運命だったのだ――。そう考えるようになりました。
表紙には壊滅した南気仙沼駅の写真が使われています。ここから仙台行きの電車に乗ると、数十秒後には姉の家の横を通るのです。表紙を見るたび、この線路の向こうに姉が住んでいたのだと思い出します。
この本が、より多くの人に気仙沼を知ってもらう機会になればうれしく思いますし、姉が生きた痕跡を記せたことで、いい供養になるのではないかと、そんなことを思ったりしています。
気仙沼はこれから、寒い季節を迎えます。でも、寒風に吹かれながら歩くのも悪くはない。気仙沼は、いまもそう思わせてくれる町のままです。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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