- 2015.01.21
- ためし読み
駐屯地につれてこられた少女たちの運命は
詩人・丸山豊の見た戦争(2)
丸山 豊
戦後70年企画 文春ムック 『太平洋戦争の肉声(2) 悲風の大決戦【指揮官の苦悩】』
ジャンル :
#ノンフィクション
惨烈をきわめたビルマ戦線。死守の命令を受けた戦場から軍医丸山豊は生還しました。飢えと疫病で、動けなくなった兵士に自決のための薬品を手渡すことも日常だった戦場です。戦後25年の時点で丸山氏は『月白の道』を書き始めました。昨今、歴史問題や慰安婦など、近隣諸国との猛々しい議論が盛んです。しかし、その前に筆舌に尽くしがたい戦場を体験した人の魂をゆさぶる文章とその苦悩を読みとってほしい。文春ムック編集部はそう考えます。
石の小道
雨季が近づいた。夜はホトトギスが、不穏な鳴き声で旅愁をさそった。フィリピン、ボルネオ、ジャワ、ビルマ、そして雲南省へと、やすむひまなしに戦い進んできた私たちの部隊は、敵を怒江の対岸に追いはらって、この龍陵の町に陣地をきずき、はじめて長期駐屯の姿勢をとった。
龍陵は冥府のように、くらい湿っぽい町。ながい間、女性的なすべてに無縁であった私たちは、ふとしたことにいら立ちやすく、おたがいの表情もとげとげしくなった。部隊の内側から、なにかとんでもない事件がおきそうな気色であった。故国からの女性たちの到着など、まだ予想もされない。なんとかここに、性の対象をもちこまねばならない。それを司令官や参謀たちは苦慮したものとみえ、私の同僚の中野中尉が呼びだされた。
中野中尉はギロリと瞳のするどい男。そこで私たちはギロチンという愛称で呼んだが、じつは心根のやさしい仏教信者。つねに如来さまの像を膚身からはなさず、朝と夕には念誦(ねんじゅ)を欠かさない。
おひとよしの中尉は、命令の「あたらしく酒保(軍隊で酒や日用品を売るところ)を開設するために」という表面の目的をかたく信じて、数名の部下をつれて女あつめに出かけた。このあたり、主要道路をはなれてすこし山深くたどってゆくと、大小さまざまの土侯たちの所領である。その土侯のひとりに会って、見目うるわしき少女の提供を交渉した。
中尉はみごとに戦果をあげて、つまり、ういういしい少女たちをつれてもどってきた。みどりの髪を三つ組みにくんで、白の上着にまっくろのもすそ。龍陵のしめった石だたみをふんで、はだしの少女たちがあるいてくる。久しぶりに見る柔和なものの美しさ。そして私たちの部隊が意図したことのみにくさ。
ついに真相を知った中野中尉はふんぜんとした。司令部では、日本軍の尊厳と実利をめぐって活発な議論がわいた。卑劣なくわだてがめいめいの心のなかで破棄された。あやまちを矯(た)めるにためろうことなかれ、司令部から第二の命令がでた。「酒保は開かない。中尉はこのままあの女性たちを、土侯のもとに返しにゆきなさい」。
中尉は、大分県のおくになまりを丸だしに、涙をながしてよろこんだ。なにが起ころうとしたのか。戦争とはじつに恥しらずなものであるかを、つゆ知らぬあどけない土侯の少女たちは、ふたたび敷石の小道をたどって谷のむこうの原始林に消えてゆく。とつぜん驟雨(しゅうう)のようなざわめきがおしよせ、見れば手長猿の大群が、谷から谷へわたってゆくたけだけしさであった。
中野中尉は翌々年の秋、この龍陵から四〇キロへだてたトウエツの城で、全員戦死の仏たちのひとりとなった。
『月白の道』は福岡の出版社「創言社」が出し続けていますが、今回、「太平洋戦争の肉声」のために抄録が許可されました。
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