特集

戦争の記憶とは抜歯のきかぬ虫歯である
詩人・丸山豊の見た戦争(1)

文: 丸山 豊

戦後70年企画 文春ムック 『太平洋戦争の肉声(2) 悲風の大決戦【指揮官の苦悩】』

惨烈をきわめたビルマ戦線。死守の命令を受けた戦場から軍医丸山豊は生還しました。飢えと疫病で、動けなくなった兵士に自決のための薬品を手渡すことも日常だった戦場です。戦後25年の時点で丸山氏は『月白の道』を書き始めました。昨今、歴史問題や慰安婦など、近隣諸国との猛々しい議論が盛んです。しかし、その前に筆舌に尽くしがたい戦場を体験した人の魂をゆさぶる文章とその苦悩を読みとってほしい。文春ムック編集部はそう考えます。

虫歯

『月白の道』の筆者丸山豊氏(写真提供・医療法人社団 豊泉会 丸山病院)

 私たちはおたがいに心の虫歯をもっておいたほうがよい。ズキズキと虫歯がいたむたびに、心のおくの一番大切なところが目ざめてくる。でないと、忘却というあの便利な力をかりて、微温的なその日ぐらしのなかに、ともすれば安住してしまうのだ。さえざえとした一生を生きぬくには、ときどき猛烈な痛みを呼びこむ必要がある。

 私にとって、戦争の記憶は、とりもなおさず、抜歯のきかぬ虫歯である。折りにふれて痛みだし、世間智におぼれそうな私を、きびしい出発点へひきもどす。みずからへの問いがはじまる。戦争とは何であったか。死をくぐりぬけるとはどういうことか。最後にそこでなにを決意したか。戦友の末期の声はなんであったか。それは今日の私の世界観とどう結びついているのか。

 この場所をかりて、私はしばらく戦地の話を書きつづけてみようと思う。戦後すら終わったといわれるとき、なにを好んでいまさら戦争の傷にふれるのかと、非難するむきもあろう。しかしながら、日本のすべての家庭は、二十数年前のそのころ、じぶんたちのごく身近にありありと、戦死の黒いリボンを結んだのである。ことに、私がいた北ビルマや雲南省は、龍とか菊とか狼とか呼称する、おもに西日本出身の兵隊がたたかったところ。忘れられたあなたの父や兄が、歩いたり眺めたり、走ったり泣いたり、あきらめたり叫んだり、また咳したり尿をしたりしたところ。私がしたためてゆく戦地の挿話のなかから、私の小声の訴えをききとってほしいのである。

 ついでに書いておきたいことがある。いくさに敗れて、日本にかえりついたときに無季の一句がうまれた。

  富士眩し帰りつきたる和魂(にぎたま)に

北ビルマ・雲南戦線で戦った軍医中尉の従軍記『月白の道』(丸山豊/創言社*書影は2014年1月15日に刊行された新版)

 ふるさとの橋本薬剤将校の家で、帰還将兵の最初の集会をした。そのときはしぜんに、階級序列なしの車座をつくって、これからの協力をちかい合った。たしかな民主主義の根が、ここからのびてゆくと思われた。ところがいつのまにか、形だけの民主主義、すなわち体制に組みこまれた民主主義が枝をはった。昨年のある旧軍人の会合など、戦地のままに階級順で整列し、レコードの軍歌はなりひびき、数十名の自己紹介を兼ねたあいさつのうち、戦争の意味をあらためて問う気配があったのは、たった二人だけであった。

 私がここで言おうとしているのは、どの政治的な考え方が正しいとか正しくないとかいう大それたことでなく、それ以前の、人間がそこで産ぶ声をあげるもの、桜色のヘソノオのようなもの、そのかなしさなつかしさのなかで、つねにはっきり目ざめつづけたいという願いである。


『月白の道』は福岡の出版社「創言社」が出し続けていますが、今回、「太平洋戦争の肉声」のために抄録が許可されました。

戦後70年企画 文春ムック
『太平洋戦争の肉声(2) 悲風の大決戦【指揮官の苦悩】』

著者名・著

定価:本体830円+税 発売日:2015年1月20日

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