心から従順であるためには、自分の考えを持たないこと。学生時代、自分では気づいてなかったけど無意識の範疇で大人に気に入られたいがための縛りが心と身体をがんじがらめにしていたから、本作の主人公時田秀美くんはどんな不良よりもとんでもなく見えた。ぐれて反抗し両親や教師に反発するために、もしくは他の大人しい灰色にくすんでいる生徒たちに差をつけるために、校則違反や夜の遊びにふける子は注意しやすい。しかし時田くんは一本筋の通った自分の考えに、大人が長年の人生経験を経て凝り固まってしまった偏見を遠慮なくぶつけたときに牙をむく。
彼は頭の回転の遅い女の子がなぜクラス委員になってはいけないのか、父親のいない自分はなぜ不幸だと決めつけられなければいけないのか、なぜ高校生が好きな女性と付き合っているだけで不純異性交遊と言われなければいけないのか、と何も間違っていない、素朴な疑問を教師にぶつける。しかし彼のそんな質問こそ教師を激怒させ、平手打ちが飛ぶ。読んでいる側とすれば彼の気持ちも分かるし、意外にも堅物な教師の気持ちもよく分かる。時田くんと同じ年齢の高校生で本書を読んだとき、彼の発言を読むたびに「あーあ、言っちゃった」とドキドキした。彼は私やほかの生徒の気持ちを代弁していた。“ぼくは勉強ができない”、本当はどの生徒だって素直に言えばそうなのだ。自己紹介のとき堂々と宣言してもいいほど、誰だって勉強ができない。だって高校でまだ学んでいるさいちゅうなのだから、これから学ぶ知識について自分が理解できるか不安もある。また得意な科目はあっても、全教科どれも優秀でいられるプレゼントを神様がくれたわけでもない。本書がいつまでも学生の心を掴んで離さないのは、この題名の素直さが彼らを引き寄せているのだと思う。時田くんの肩ひじの張らない、へらへらした陽気な性格が読者をくつろがせ、彼のゆるぎない価値観が読者を緊張させ、彼のまっすぐな疑問に対しての答えをあれこれと考えさせる。
大人になってから時田くんの発言を読むと「確かに彼の言う通りだ。でもその問題を解決するにはとても時間がかかる。終わりの会を、ホームルームを何回開いても、生徒たちがいくつ意見を言っても、根本的には解決しないだろう」と思う。学校の教師が素朴な疑問に一つ一つ答えられず、かつストレスフルな職業なのは、学生時代には知らず、大人になってから知った。教師の友達もいる。毎日規則正しく業務をこなしても終わらない仕事が積み重なってゆくなかで、さらにアクシデントがあれば猫の手も借りたいほどの多忙さだろう。生徒は突飛な発言をせず、良い子で従順でいてくれた方が助かるに決まっている。なにか不満や事件があり、解決役になってくれと生徒に泣きつかれたなら教師もやりがいを感じ奮起する。しかし時田くんの反抗、というか主張は、大人の考え方を根幹から揺るがす、向き合うといままでの人生の色んな局面を反省しなければならないような、なんとなく人を不安にさせる質問だ。偏見に支えられている大人は多い。世の中こんなもんだと無理やり納得してきたからこそ、理不尽な努力を強いられても頑張ってやってこれた経験もある。