時田秀美くんは著者にとっても思い出深い登場人物だったようで、山田詠美さんの新作「賢者の愛」には成長して編集者となった彼が、高校時代の魅力的な面影そのままに登場している。母親と同じ編集者になったのか、と感慨深くなるが、年上のフェロモンあふれる女性といるのが妙に似合う点も変わっていなくて、彼が彼の良い部分を損なわずに成長したのが分かってうれしい。本書の「賢者の皮むき」の章で時田くんは「ぼくのおかしな自意識も皮むきで削り取ることが出来れば良いのに」と考える。しかし自分はまだそれを手にすることができない、とも彼は考える。山野さんを嫌いだと口にしなくなったとき、皮むき器を手に入れられるかもしれない。彼はとりあえずそんな結論に行きつくが、非常に難しい高度なことを考えていて、彼が勉強はできなくても本質的な道徳、というか人間の精神の潔さ、高潔さについて真面目に考え一筋縄ではいかない結論を導き出せることを示唆している。時田くんの考えていることが正しいと、たくさんの言葉で説明してもらわなくても伝わる。食事のマナーについて、ほかの人のマナー違反を指摘しないのが大切なマナー、と知ったときと同じ腑に落ちた感じがあった。誰かの化けの皮を見抜いたとき、人は得意な気分になる。相手が稚拙で自分の方がその点について勝っていると上位にたてる。しかし天狗にならずに優劣の順位を意識しなくなったときに初めて、“勝った”ではなく“解き放たれる”。偉くなりたいとか良い暮らしをしたいとか、あまりにも具体的すぎる将来の夢ばかりを実現しようと躍起になるのが大人だと、いつしか思い込んでいたが、本書を読み直して時田くんがまっすぐな心で目指したような、精神の洗いざらし、偏見も優劣もない、さっぱりした解放感を真摯に勉強する強さを、どんな歳になっても持ち続けていきたい。
青年期に読んでいた本書を今となって読み返すと、小説と自分との間の距離がまったく無い、小説を信じきっていた時代があったんだと気づかずにはいられない。「ぼくは勉強ができない」は私にとって他の科目と並ぶ「美学」という科目の教科書で、ただ勉強するだけでは得られない、個人がどう世の中を粋に生きてゆくか決めるスタンスを教えてくれた。まったくの血肉となって現在でも身体のなかで息づいている。以前、人間は実は二十五時間サイクルで生きているから、いまの二十四時間で動く世の中に合わせるために、余分な一時間をなんとかやり過ごさなくてはならない、という話を友達としたのだけど、どこから得た知識なのかすっかり忘れていた。本書を読んで、時田くんの友達が不眠症で二十五時間のサイクルについて話していたのだと記憶が甦り、脳のなかに組み込まれている本書の印象の強さを思い知った。生き方、知識、残りは文体や言葉の使い方だ。難しい言葉は使われてない、そぼくな語り口であるにもかかわらず、本書の文章のリズムやそこはかとなく大人の甘い香水の匂いが香る表現描写、ひそやかな罪の意識は、ただ読んでるだけで乗りうつる。小説を書く友人たちと本書や山田詠美さんの他作品で際限なく盛り上がれるのはもちろん、高校生のときは同級生が山田作品を読んだあと「エイミー風」の雰囲気の色香を即座に漂わせるようになった場面にも出くわした。勉強でもお金でも得られない、人間の内部から醸し出されるお香のようなアトモスフィアについて、山田さんの作品で習わなければ、私たちはどこで習えばいいのだろう? ファッション誌にも他の小説にも載っていない、服や香水やアクセサリを身にまとうだけでは発生しない、好きな男性や周りの人々だけでなく、本人も存分に酔いしれることが可能な魔法について、丁寧な言葉で教えてくれる教科書に、ほかのどこででも出会えない。口承文學なんてパソコンでなんでもすぐ保存できる世の中ではもう絶滅してしまったけれど、本書は物語だけでなく生き方や語り口そのものを伝承している。時田くんの独特な思考、残酷なまでの正直さ、彼の周りの彼と違う種類の生き方を選びつつも素敵な人たちは、生身の人間かそれ以上に、私に長きにわたって影響を与え続けている。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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