――当時の資料は相当読み込んでいるけれども、あえてそれらは書かなかったという。
柳 そうですね。資料をたくさん体の中に入れていくと、最後に些細な、どうでもいい事実をポトッとそこに落とすだけで、それを中心に物語が結晶していくんです。過飽和の水溶液に微細な核を落とすと一瞬にして周囲が結晶になっていくような。そういうイメージですね。
メロドラマではなく、ロマンスを
――清彬が思いを寄せる伯爵令嬢、万里子はどのようなイメージで作られていったのでしょう。共産主義の運動にかかわったとして、窮地に追い込まれますね。
柳 資料的な意味でいえば、イメージした人はいました。岩倉具視の曾孫の岩倉靖子という女性が、いわゆる華族赤化事件に連座して検挙されているんです。それがちょうど昭和8年で。まったく偶然だったんですけれども、物語としては、その歴史的事実がきっかけにはなっています。
――最初、万里子がなかなか登場しませんよね。登場した後も、かなり複雑な女性だという印象。
柳 なかなか出てこない、そのもどかしさがいいんじゃないですか(笑)。清彬もそうですが、万里子に関しても、ここに書いたことがすべてで作家がそれ以上付け足すものはないので、人物像に関してはいろいろ想像していただけたら。
――謎が複雑に絡み合う展開のなか、意外な伏線もありました。彼らの恋愛の行方は、最初から決めてあったのですか。
柳 はい。ロマンスとしての展開を考えていました。連載途中、担当編集者から「こうしたほうが面白いんじゃないですか」という提案をいろいろいただいたんですけれども、「そうするとメロドラマになってしまう」というせめぎあいがありましたね(笑)。メロドラマとロマンスは違いますから。
――その違いはどこにあるのでしょうか。
柳 難しいですが、メロドラマというのは、たぶん手が届いちゃっているんじゃないでしょうか。自分が欲するものに対して手が届いた状態での葛藤であったりドラマであったりする。ロマンスは、手が届かないことが分かっていながら、それに憧れて精一杯手を伸ばし続けるという。
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