書評

英国の“激しい”現場を見て、〈報道哲学〉を考える

文: 澤 康臣 (共同通信記者)

『英国式事件報道 なぜ実名にこだわるのか』 (澤康臣 著)

  だが、濃密で徹底したイギリスの報道、とりわけ実名とともに「人間」が徹底して描かれ、語りかけてくる記事の力に私は圧倒された。イギリスではこういうのがニュースなのであり、こういう〈報道文化〉なのだ。

  そして、こうした報道を担うイギリス人記者たちの思いである。ここまで踏み込んだ記事を書く記者たちは何を考えているのか。取材しないわけにはいかない。私は「記者が記者を取材する」という少し変わった研究をする羽目になった。

  インタビューした記者ら一人一人は、紙面の派手さとは打って変わり、まったく地道で真面目であった。いわく「被害者や遺族の取材は本当につらい。事件現場周辺を回って取材するのも苦しい。でも時々、話したいという人もいる。だから探さなければ」「人間を書くことが大切なんだ。ニュースは人々を描くもの」「名前を書くことでニュースがヒューマンな顔を持つ。人間は、人間のことに対して反応するのだ」「こういう人がいたということを知らせたい。前途ある若者が死んだのに、どうということもないなんて……」。

  悪戦苦闘する彼らには、彼らなりの哲学があるように思われた。紙面を読んで感じるのが〈報道文化〉なら、今度は彼らと話して思い知ったのが〈報道哲学〉である。

  彼ら記者を笑うのは簡単だ。所詮は下世話な、時にプライバシーを侵すような報道をし、そんなことのためにぶしつけな取材をして回る者たちだ。嘲笑し、蔑み、あるいは非難する人のほうが多いだろう。だが、彼らは激動するメディア業界で七転八倒しながらも自分たちの仕事がどうあるべきかを懸命に考えている。彼らの言葉のいくつもが、私の職業人としてのあり方を問う。

  イギリスでの一年間の研究生活を終えて日本で再び記者として職場復帰した私は、「逆カルチャーショック」の時期を過ぎても心のモヤモヤが消えなかった。イギリスでの記事の書かれ方、記者の思い。彼らの哲学を何度もかみしめた。記者は何を伝え、何を記録しようとしているのか? 翻って、日本で我々の書くニュースはどうなのか? そして、ニュースはなぜ、何のために?

  そんな問いを、多くの人々と共有したい。

  単純な称賛はしない。いくら私がメディアの人間だからといって、何でもかんでも報道するのが良いとは思わない。いや、デリカシーのない取材報道は批判されるべきだと思う。それにイギリスと日本は文化も歴史も違う。こんなの日本では絶対ダメだという人も大勢おられるだろう。

  それでも、イギリスではそういうニュースがあり、そういう〈報道文化〉と〈報道哲学〉があることをまずは知ってほしい。それが、この本を書くに至った最大の動機である。

英国式事件報道
澤 康臣・著

定価:1800円(税込) 発売日:2010年09月29日

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