兄を追って叔父と袂を分かった幸次郎とともに、晴太郎は独立を決意。茂市にも助けられ、父の味を継ぐ「藍千堂」を開業した。ところがそれ以降も、百瀬屋の叔父から何くれとなく妨害される。百瀬屋の娘で晴太郎たちの従妹にあたるお糸は兄弟を慕っているものの、藍千堂と百瀬屋の仲は険悪なまま。
物語は、叔父の妨害工作をかいくぐりながら、持ち前の技術と知恵で藍千堂が難関を越えていく様子が六話にわたって描かれている。各話に登場する個々の事件はもちろんだが、兄弟と百瀬屋の確執とその理由、お糸の恋心といった全編を貫くテーマも読みどころだ。
では、先に述べた「人物造形」と「舞台設定」から、本書を見てみよう。
まず何と言っても目を引くのは「舞台設定」だ。江戸の菓子司が舞台とあって、各話にいろいろな上菓子(美的に洗練された上等の和菓子)が登場する。それが絶妙に物語にリンクしているのである。
和菓子には大きな特徴がある。季節と歴史を映す文化である、ということだ。
京都の貴族文化として発展した和菓子は、戦国期の茶の湯の流行と渡来した南蛮菓子の影響を受け、江戸時代に大きく開花する。戦乱の世が終わって生活を楽しむ余裕ができたからだ。それぞれの土地で名物と呼ばれる菓子が生まれ、それが参勤交代で江戸や京都に持ち込まれ、味や手法の交流が広がった。さらに八代将軍・吉宗が砂糖の生産を奨励したことで白糖の入手が容易になり(それまで砂糖といえば黒砂糖で、白糖は大部分を輸入に頼っていた)、いっそう菓子作りが盛んになる。現在、香川県の名産品となっている高級砂糖・和三盆も、この時代から作られ始めたものだ。
本書には柏餅や桜餅が登場する(一七一七年に発売が始まった長命寺の桜餅が話題に上るところから、本書はそれ以降の時代であることがわかる)が、それぞれ柏の葉、桜の葉や花びらが必要なお菓子であることに気づかれたい。その季節にしか食べられないもの、である。しかも柏餅は、新芽が出るまで葉を落とさない柏が「家系が絶えない」ことに通じるとして縁起物の節句菓子になった。つまり和菓子とは、日本の歴史や季節、風習と密接につながった文化であることがお分かりいただけるだろう。
和菓子はその時代ごとの条件の中で職人が工夫を重ねたものであり、季節の変化を愛おしみ節句の行事を大事にしてきた日本人の心を映す鏡なのだ。
それが物語の重要なキーになっているのだから、面白くないわけがない。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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