と、これだけ書いてきたことをいきなり否定するようだが、和菓子は決して、本書の主役ではない。本書の風合いを担い、季節感を演出し、人の心を映し出す重要なモチーフではあるが、主役はあくまでも人だ。
ここで「続きを読みたいと思わせるための、ふたつの要素」のもうひとつの話になる。人物造形だ。
ほんわかした晴太郎にキリッとした幸次郎。この凸凹兄弟がいい。実際はこちらが兄なのではないかと思われるほどテキパキした幸次郎が、実は何より兄を大事に思っているツンデレなのも可愛いし、いつもはぽやっとしてる和菓子バカの晴太郎が、弟の一大事には迷わず店より弟をとる潔さを見せるのも痺れる。ふたりをサポートする朴訥な職人の茂市、厳しいが頼りになる伊勢屋、さりげなく力を貸してくれる定廻り同心の岡。そして幸次郎に片思いしている百瀬屋の娘、お糸。このファミリーは実にいい。
そして物語の中心にあるのは、「なぜ百瀬屋の叔父は、ここまで甥たちを目の敵にするのか」という謎だ。その謎が最終話で明かされたとき、物語は「若き菓子職人と番頭の奮闘記」から、「切ない兄弟の物語」へと一変する。自分の拠って立つところは何なのか、自分が向かう道はどこなのかという、普遍的なアイデンティティの物語へと変貌するのである。単なる江戸職人小説だと思って読んでいると、びっくりするぞ。明かしてしまうと興を削ぐので具体的には書かないが、本書の核になるのは晴太郎と幸次郎、父と叔父という二組の兄弟であることだけお伝えしておこう。
『甘いもんでもおひとつ』という本書のタイトルを、あらためて噛みしめる。晴太郎は、普段上等な菓子は食べられない庶民のために四文の柏餅を、悪阻に苦しむ姫様に青柚子の葛切を、恋に悩む弟のために有平糖を、拗ねる従妹に柿入りういろう餅を、そして憎き叔父にもとっておきの菓子を、差し出す。その人にいちばん必要なものを、その人のために差し出す。喜ばせたいという思いを込めて。
甘いもんでもおひとつ――それは昂(たかぶ)った心を鎮め、沈んだ気持ちを引き上げ、涙を笑顔に変える魔法の言葉だ。本書は、そんな魔法で満ちている。
季節感がなくなって久しい今、和菓子は数少ない、四季と歴史を感じさせてくれる食べ物だ。しかもこれだけ物語を込められるのだから時代小説のモチーフとしてはうってつけで、他にも西條奈加『まるまるの毬』(講談社)や、中島久枝『日乃出が走る 浜風屋菓子話』(ポプラ文庫)、高田郁『銀二貫』(幻冬舎時代小説文庫)など、多くの作品が和菓子と和菓子職人を扱っている。また、当時の和菓子が、そこに込められた意味や物語も含めて現代に伝わっていることがわかるのが坂木司『和菓子のアン』(光文社文庫)だ。本書を読んで和菓子小説に興味を持たれた人は、ぜひ併せて読まれたい。
――が、やっぱりいちばん読みたいのは本書の続きだ。だってモチーフは和菓子なんだから、まだ登場していない和菓子がたくさんあるではないか。お糸と幸次郎はどうなるのか、叔父と兄弟の関係はどうなるのか、気になる展開も山盛りだ。伊勢屋や茂市、岡の話も読んでみたい。
だから思うのだ。「次を!」と。
田牧大和の小説は、読み終わるとすぐに続きが読みたくなる、と書いたのがおわかりいただけると思う。
甘いもんでもおひとつ? いや、ひとつと言わず、ここはぜひともふたつめをお願いしたい。――と言ったら、なんと六月に第二弾が刊行予定というニュースが飛び込んできた。ほらね、やっぱり誰だって「次を!」と思う作家なのだ、田牧大和は。
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