今回は、慶應大学文学部の藤原茂樹教授に、学外門外不出の『万葉旅行記』の実物を見せていただきました。万葉旅行記とは現在でも続いている慶應の伝統行事で、父も昭和5年に折口先生とともに奈良方面を旅しています。この旅行記を書くにあたっての苦労や実際の様々な出来事は日記に残されており、それはそれで色々と興味深かった。でも、父が書いた記録を八十余年の時空を超えて息子の自分が目にするという奇跡は、このシリーズの執筆を思いいたらなかったら起こらなかったでしょう。自分でなければできない、やらねばならない仕事をしているという気がします。
――学業のことだけでなく、昭和初期の大学生のリアルな青春も垣間見られます。
父はずいぶん熱心に歌舞伎に通うのですが、後に国立劇場制作室長となる加賀山直三君が良き指南役になってくれています。その加賀山君が後に文藝春秋の副社長となる鷲尾洋三君と喧嘩になり、殴って逃げ出したなんていうエピソードも書きましたが、そういう馬鹿馬鹿しい何でもないことが、非常に嬉しい(笑)。早慶戦の応援に出かけたり、若かりし日の……それこそ記録には残らないけれど、確かに彼らが生きていた証ですよね。
私の頃に比べると、この時代の大学生の学力は圧倒的なものでした。父の場合は国文学系になるわけですが、基盤になる教養も違うんですね。たとえば邦楽にしても、父の場合は常磐津、新内、長唄、端唄、小唄、それらをすぐに聴き分けられましたし、義太夫なんかも普通に楽しんでいた。蔵に行けば活字本ではなく、木版で刷られた古い本がいっぱいあってそれを読むこともできました。江戸時代からの文化や伝統とまだ地続きであったという気がします。
現代は現代だからこそ手に入る情報や感覚が実際にはあるのでしょう。この「いとま」シリーズでも、父は1巻目で兄を、2巻目では最愛の弟を病で失いますが、昔は7人や8人兄弟は珍しいことではなくて、その代わりに早逝することも多かった。それがわずか80年で医学がこれほど発達し、少子化が顕著になっている。家族や家庭の常識も本当に変わりました。残念ながら失われてしまったものを、こうして書くことで形に残せた――最初から3部作という構想だったので、ようやくここで3分の2まできました。最終巻も調べることがまだまだ多くて大変そうですけれど(笑)、数年のうちに完成させるつもりです。
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『いとま申して』解説
2013.08.06書評 -
この作品を書くのが務めだった
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いま、あえて福沢を語ること
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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