北上 ゆっくり、ゆっくり物語が立ち上がってくるのが良いですね。『夜去り川』では主人公の喜平次が船頭をやっている。でも何のために彼が船頭をやっているのか読者にはなかなか分からない。それで、本来の船頭の弥平が、またいいキャラクターなんですが、喜平次と喧嘩のようにしょっちゅう言い合って暮らしている。ゆっくりと喜平次の日常を描く中で、徐々に事情が明らかになってくる。これは先ほどのカメラアングルの話に繋がるのでしょうが、彼がいま何を考え、何をしているのかを少しずつ知ることの喜びというのを、僕は感じたんです。
志水 それは私が、そういう小説でないといやなんですよ。これはデビュー直後、編集者に言われてすごく反発を感じたことなんだけど、読者がパッと読んで分かる形を要求されたんです。私はそうではなしに、少しずつ少しずつ分かってくるという書き方をしたかった。でも当時の編集者は、それでは読者は前に書いたことを覚えてないというんです。それは読者をバカにしてるんじゃないかなと思いましたね。
北上 そういう説があったのは事実です。たとえばAという人物にまず名前を与える、年齢を与える、職業を与える、そうすると外側の状況ができるじゃないですか。それで読者には分かりやすい、と。
志水 私はそういう分かりやすさがいやなんです。少しずつ分かっていく喜び、面白さを常に大事にしたい。
江戸と地続きの昭和
北上 いつも幕末を舞台に選ぶのはどうしてなんでしょう。
志水 幕末という時代は、自分にとって違和感がない、知っている感覚なんですよ。特に昭和三十年くらいまでの人間の暮らしの、いちばんの基本は何かというと、飯を食えるということなんです。今日明日の食事の心配だけ。私なんか子供の頃から、何か持ってきて、煮炊きしてと、そういう手続きは体に染み付いているんです。お腹空いたときにどうするか、それは昔の人だって同じでしょう。江戸という地域はおあしさえあれば何か食事にありつけるでしょうが、少し地方へ行けばそんなことはない。自分が何かしなければいけない。その感覚を私は知っているので、それが強みというのかな。そういうことを作品の中になんとなしに織り込んでいくと、他の人とは違うことができるんです。
北上 今回は黒船来航、嘉永の頃が舞台ですね。
志水 当時の人間の苦しみというのは、やはり我々には分からない。だから、いまの自分が当時の状況に置かれたらどう考えるか、ということです。現代人の気持ちで成長する人間の物語を書いていくしかない。つまり江戸に時代を借りた現代小説でもあるんです。ただ会話は現代的でも、言葉自体はできるだけ昔の人が使う言葉にしようと思っています。
北上 それにしても、作家・志水辰夫は稀代のへそ曲がり作家と言われたりします。常に読者の期待を裏切る方向に進む(笑)。
志水 いや、これはもう、性格なんですよ、生まれつきの(笑)。やっぱり、次から次へと別なことをやっていきたいんです。たしかに、一つの型を踏襲してやったほうが読者も安心するだろうし、営業政策としてはその方がいいでしょう。でも私自身がいやなんですよ。ただこの先、もうそんなにたくさん書けないと思うから、常にいちばん新しい作品がいちばん良い作品であるように、真剣に書いていきます。もうヘンなよそ見はしない、浮気はしません(笑)。
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