献立は現在の私たちからみれば素朴だ。でも、スーパーやコンビニで買うのと違って、昔ながらの早起きの豆腐屋さんが作る、揚げたての油揚げがいかに美味しいかは、私もおぼろげながら覚えている。それを甘辛に煮付けて、やはり甘辛に煮た地元の野菜といっしょに食べるのは、さぞ美味しかろう。
年を取ったせいかもしれないが、いま、食べて心底「美味しい」と感じるのは、白米と地物の野菜かもしれない。なんだかテイの食生活は、非常に豊かな感じがする。コウシン様やサナブリや井戸替えやお正月の風俗が徐々に失われていったように、テイらが享受していたような食の豊かさは、こんにちの食卓にはなかなか上らない。同じ名前の食材を使っていても、同じような豊かさは再現できない。
そうした意味での「豊かさ」の記録が、本書には詰まっている。
成長したテイは、東京へ出ていく。テイにとっての初めての東京は小学校の修学旅行で、級友たちといっしょに日本橋の三越でお弁当を食べる。ちなみに日本橋に五階建ての三越デパートができたのは大正三(一九一四)年のことである。テイと三越は五歳しか違わない。地方と都市は、そのころそんなふうにして存在した。テイは小学校から足利高等女学校に進み、卒業すると、押し出されるようにして東京へ行くことになるのだ。それは、古い風習や因習の残る「村」からはじき出されて、「工業立国」の担い手の一人として「都市」へ出ていくことを意味した。近代日本を具現する街へ。パラレルで交わらないかに見えた二つの世界は、こうして交錯するのだった。
生まれたばかりで母に捨てられ、父の家、高松の家を常に仮の住まいと意識しながら育たなければならなかったテイ。帰れないと決意して、テイは東京に旅立ち、工手学校で学んで土木局に働き口を見つける。お金をこつこつ貯めて、新渡戸稲造が校長を務める「女子経済専門学校」の門を叩いた。そこでなんと、新渡戸をはじめとして、吉野作造や我妻栄らの講義を受けて経済的独立を果たす女性の生き方を学び、そんな彼女をまっすぐに受け止めてくれる生涯の伴侶を見つけるのだ。
東京へ行ってからのテイは、知識と情報の海を一気に泳ぎ渡るような印象がある。秋には稲穂のそよぐ高松村で育った女の子が、よくぞここまでというようなモダンガールに成長する。しかし、テイの芯にあるのは、雛人形を買ってもらえないのをぐっとがまんした女の子の、いやでも独り立ちしなければならなかった生い立ちの厳しさなのだ。
そのテイの晩年に、堰を切ったようにこぼれだしたのが「わたしにはおっ母さんがいなかった……」という切ない思いであったことが、読み終えてやはり、胸を衝くのである。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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