書評

昭和天皇の苦難と成長

文: 伊藤 之雄 (歴史家・京都大学教授)

『昭和天皇伝』 (伊藤之雄 著)

 25歳で践祚(事実上の即位)した若い昭和天皇は、デモクラシーを理解し、自分を神とは考えていなかった。しかし、軍人や右翼・保守派の人々から、明治天皇に比べてどのくらい偉大な君主か、期待と疑心をもって見られていた。最初の数年間、若さから来る気負いもあって、張作霖爆殺事件の処理、ロンドン海軍軍縮条約問題、満州事変での朝鮮軍(日本軍)の独断越境への対応を誤ってしまう。その結果、軍部への威信を確立することができず、その後も天皇の意思に反して、日中戦争は拡大し、太平洋戦争への道を止めることができなかった。その主要な理由の1つは、明治天皇を支えた伊藤博文や、大正天皇を支えた原敬のような有力政治家が、若い天皇の側近にいなかったことである。

 昭和天皇は明治憲法で強大な大権を認められた天皇であるから、それを行使しないで戦争への道を是認していたのだ、という論者も多い。しかしそれは、明治憲法や立憲君主制の運用の実態を知らない誤った見方である。私は、美濃部達吉らの憲法学説のみならず、明治以来の天皇の権力行使の意思と、それがどのように実現したか、またしなかったのかを、昭和天皇も含め、これまで1つ1つ検討してきた。

 それによると、旧憲法下の天皇といえども、法の下にあり、権力行使に苦しんだのである。たとえば、天皇が好まない政策に関し、首相や閣僚・軍人の上奏を拒否し辞任に追い込んだとしても、天皇に威信がなければ、好ましい首相や閣僚・軍人を後任に得ることはできない。後任が得られないと、新内閣すらできず、天皇は窮地に立つことになる。その結果、屈服を強いられ、さらに威信がなくなる。若い昭和天皇はこのような苦境に陥り、妥協するしかなかった。

 二・二六事件を例にとると、昭和天皇の意思は最初からクーデターの鎮圧であったのに、10数時間も陸軍に無視された。さらに、実際に陸軍が鎮圧に動くのは、それから二日も後である。

 このように、太平洋戦争の開戦まで、威信のない天皇個人が大きく状況を変える政策選択をしようとしても、成功する可能性はあまり高くなかった。

 苦い体験や失敗を重ね、天皇は太平洋戦争中の東条内閣の倒閣の頃から、政治指導に円熟味を増してきて、終戦に向けて政治を主導した。戦局の悪化により軍が威信と自信をなくし、影響力を後退させてきたことも幸いした。

  昭和天皇は終戦を実現できたことで自信を得た反面、戦争への強い道義的責任を感じつつ戦後を生きることになる。天皇家に生まれ、自分の意思とは関わりなく、立憲君主として困難な国家運営を担当させられ、苦悩し、戦後は日本の復興の精神的支柱となるべく、節度ある生活をした。未曾有の大震災後の今日、昭和天皇の喜びや怒り、苦しみ、悲しみも含め、天皇とその時代を振り返ってみることで、困難を生き抜く気力と知恵が生まれてくれば幸いである。

昭和天皇伝
伊藤 之雄・著

定価:2300円(税込) 発売日:2011年07月13日

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