アイドルグループ「でんぱ組.inc」のメンバーである夢眠ねむさんに、朝井リョウさんの最新刊『武道館』を朗読していただきました。 「アイドルという職業が背負う十字架について、考えて考えて、考え抜いて出た結論を書きました」と朝井さん本人がおっしゃるとおり、 この作品は武道館を目指すアイドルグループの爽やかな青春小説では終わりません。 アイドルファンの方にも、そうでない方にもぜひ読んでいただきたい傑作です。『武道館』発売の4月24日まで全5回にわけてお届けします。
ダンスレッスンのためにスタジオに集まった、NEXT YOUの5人。メンバーのひとり、真由がダンスの先生に注意された理由とは。(『武道館』第2章より抜粋)
歌い出しを任されている碧が、左手の拳をマイクに、鏡の真ん中を客席に見立てて、ビニールテープで引かれた線のギリギリまで出て行く。流れている音源にはすでに歌が入っているが、碧はその上に被せて実際に小さな声で歌っているようだ。
レッスンのときは、碧の前髪は自由に揺れる。透明の汗をまとって、自由な太さの束をつくる。
愛子は一瞬、自分がビニールテープの外側から、客として碧のことを見つめているような気がした。
次の節は、愛子とるりかのユニゾンだ。愛子は、架空の観客へと意識を集中させる。
ファンの中の多くは、歌う順番がそのままグループ内の序列を表していると捉える。一番のサビの前に担当パートがあるかということは、チェックされるポイントのうちのひとつだ。愛子とるりかは、背中合わせの状態で歌割の部分を終える。シンメトリーの立ち位置にいるメンバーとは、左右対称の振りを踊ることが多い。
頭で考えなくても、体が動く。前後左右をいちいち気にしなくても、隊形移動のときにメンバーとぶつかることもない。
曲が自分たちのものになっていくこの感覚が、愛子は大好きだ。早く大勢の人の前で踊りたい、歌いたい、という気持ちが、ストローから息を吹き込まれた牛乳みたいにぼこぼこと音を立ててふくらんでいく。一曲一曲とパフォーマンスができるようになるたびに、いろんな種類のスポーツができるようになっていくような、そんな気持ちよさがある。
「はい。まあまあ、とりあえずはって感じだね」
曲が終わり、先生が音源を止めた。
「細かく言いたいところはいっぱいあるんだけど」
座ったままの先生は、立ったままの愛子たち五人を見渡して、言った。
「真由、ごはん食べなさいね、ちゃんと」
「ええっ? そこ?」
真由は半笑いのような表情で、なんとなく他のメンバーのことを見た。誰かが一緒に空気をごまかしてくれることを期待したのかもしれないが、誰も何も言わない。
真由は、ダンス経験がないなりに、いつもパワフルに踊る。今日だって、そのパワフルさは変わっていなかったはずだ。
「確かに動けてたし、振りも間違ってなかったけど、全っ然体が止まってないよ、あんた」
「止ま?」
「ちゃんと止まってない。動けても、止まらなきゃいけないところで止まれてなかったら、全部台無し」
先生は、みんなも聞いて、というように、もう一度メンバーを見渡した。
「ダンスって動いている時間ばっかり意識しがちだけど、動くってことはつまり、同じ回数だけ必ず止まるってことなんだからね。だから、ちゃんと止まれてないってことは、ちゃんと動けてないってことと同じくらい、パフォーマンスのクオリティを下げてるわけ」
愛子は、鏡越しに真由を見る。へらへらしてもこの場をごまかせないことに気づいたのか、表情は固い。(つづく)
「でんぱ組.inc」夢眠ねむ、朝井リョウ著『武道館』を朗読!
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